阿佐美実高 (ASAMI Sanetaka)
阿佐美 実高(あさみ さねたか、生年不詳 - 仁治2年(1241年))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武蔵国児玉党の武士。
通称は太郎。
略歴
児玉党本宗家4代目庄家弘の五男(末子)である庄弘方(阿佐美氏祖)の嫡男として生まれ、児玉郡の入浅見村(現在の埼玉県本庄市児玉町入浅見)が出身。
『吾妻鏡』では、建久元年(1190年)11月7日条(雨降る)に、阿佐美太郎の名が確認できる。
彼は、源頼朝が上洛する際、17番目の先陣随兵として従った。
児玉党の庄氏や四方田氏と共に将軍の上洛に際し、従っていた。
また、建久6年(1195年)の将軍家東大寺供養の際にも先陣随兵として「淺見太郎(実高)」の名が確認できる。
正治2年(1200年)に左衛門尉に任ぜられ、建保4年(1216年)には右衛門尉に任ぜられた。
その25年後の仁治2年(1241年)に没したと『武蔵七党系図』には記載されている。
実高は児玉郡の入浅見の他、上野国や越後国、加賀国などにも所領を有していた(庄家長児玉党の上州への勢力拡大も参照)。