飛鳥井雅綱 (ASUKAI Masatsuna)

飛鳥井 雅綱(あすかい まさつな、長享3年(1489年) - 元亀2年(1571年))は、室町時代後期から戦国時代 (日本)の公家。
飛鳥井雅俊の長男。
母は、八幡検校生清法印の女。
雅氏、雅清とも。
弟に行雅(浄名坊、阿闍梨)。
従一位、権大納言。
歌人であり、蹴鞠の大家。
武家伝奏を務めた。
子女は、覚澄(安居院僧正)、喜雲、飛鳥井雅春、某(最勝院)、尭慧、宗禎(伊豆国修善寺住持、二卜と号す)、遠山、某(報恩院、水本と号す)、雅厳(僧正、松橋)、重茂、仏光寺経範の妻、朽木晴綱室、目の典侍(正親町天皇典侍)のほかに女子あり。
永禄6年(1563年)に出家し、法名は高雅。

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