鴨蝦夷 (KAMO no Emishi)
鴨 蝦夷(かも の えみし、生年不明 - 持統天皇9年(695年)4月17日?)は、日本の飛鳥時代の人物である。
氏は賀茂とも書く。
旧仮名遣いでの読みは同じ。
姓(カバネ)は君、後に朝臣。
672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側について石手道を守った。
贈直広参。
壬申の年の勃発時、吉野宮から大海人皇子(天武天皇)が去ってから、倭(大和国)では大友皇子の朝廷のもとで軍の編成が進められた。
6月29日にその軍の指揮権を、大海人皇子側の大伴吹負が計略で奪取した。
これを知った鴨君蝦夷は、三輪高市麻呂らと吹負の下に参集した。
吹負の軍は7月1日に北の乃楽(奈良)に向けて進発した。
途中の稗田で河内国から大軍が来るとの情報を得て、吹負は3部隊を分派した。
そのうちの数百人を鴨蝦夷が率いて石手道を守った。
配置についてから敵軍と盛んに戦ったのは坂本財らの部隊で、鴨蝦夷の部隊が戦闘に加わったかどうかは不明だが、5日には敵に圧倒されて退いた。
天武天皇(684年)13年11月1日、鴨君は、朝臣の姓を与えられた。
持統天皇9年(695年)4月17日に賀茂朝臣蝦夷は、直広参の位と賻物(葬儀の際の贈り物)を贈られた。
もとの位は勤大壱であった。
同じ日に文赤麻呂も位と賻物を贈られており、2人ともこれより少し前に死んだと思われる。