京都市営地下鉄東西線 (Tozai Line, Kyoto Municipal Subway)
東西線(とうざいせん)は、京都府宇治市の六地蔵駅から京都市右京区の太秦天神川駅までを結ぶ京都市営地下鉄の路線である。
路線データ
管轄・路線距離(営業キロ):六地蔵~太秦天神川間 17.5km
京都市交通局(鉄道事業者):
六地蔵~御陵間 8.7km
三条京阪~太秦天神川間 5.4km
京都市交通局(鉄道事業者)・京都高速鉄道(鉄道事業者):
御陵~三条京阪間 3.4km
軌間:1435mm
駅数:17駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流1500V・架空電車線方式)
閉塞 (鉄道):車内信号式(自動列車制御装置、自動列車運転装置)
最高速度:75km/h
概要
京都市で2番目の市営地下鉄路線として開業した。
京都市中心部と同市東南部の山科区・伏見区との通勤輸送、及び滋賀県大津市との都市間輸送の一部を担う路線であり、1日平均12万人が利用している。
1997年に醍醐駅 (京都府)~二条駅間が開業し、2004年に醍醐駅から六地蔵駅まで延伸、2008年1月16日には二条駅から太秦天神川駅までが開業した。
同駅からはさらに西京区の洛西付近までの延伸が予定されている。
市の郊外に洛西ニュータウンが建設された際、「将来ここまで地下鉄が来る」という話を聞いて入居した人が多く、住民から延伸を望む声が強いが、京都市の財政事情が厳しいことから建設の見通しは立っていない(詳細は西部への延伸構想)。
六地蔵駅から山科駅までは伏見区東部・山科区を京都外環状線の地下を通って南北に走る。
山科駅から蹴上駅まで山を迂回するようにカーブし、蹴上駅から二条駅までは市内中心部を三条通・御池通・押小路通の地下を通って東西に走っている。
なお、烏丸御池~二条城前間と京都市役所前~三条京阪間の2か所にもカーブがある。
京都市中心部で東西方向に走っていることから、東西線と名付けられているが、東西方向に走っているのは全体の半分程度である。
全ての駅にホームドアが設置されている。
太秦天神川駅から御陵駅では、4両編成と6両編成の両方が発着する関係で、これらの駅ではホームドアは4両部分のみの開閉も行うことが可能になっており、現にそうした運用がなされている。
地下鉄でのホームドアの採用は東京地下鉄南北線に次いで、当路線が日本国内2例目である。
また、各駅毎にステーションカラーと呼ばれるシンボルカラーが選定されており、ホームドアのほか、駅名表示部、駅名パネル、駅務室の外壁、エレベーターの扉などがその色で統一されている。
このステーションカラーは駅一覧のようにグラデーションしていく。
駅は全てプラットホームで、エレベーター、エスカレータを完備しているほか、トイレの段差をなくしたり、車いす用スペースを設けたりして、バリアフリーが心掛けられている。
醍醐駅、烏丸御池駅を除くと、すべて改札口は1箇所である。
エレベーターはほぼすべての駅で油圧式、11名乗り、一部点字表示、音声案内付きに統一されている(メーカーは各駅異なる)。
エスカレーターは駅により上りのみか、上下とも完備されている駅と2タイプあり、全駅ともセンサー式自動運転である。
発車メロディ・列車到着アナウンス
京都市営地下鉄で唯一発車メロディがあるが、4曲全てが京都の長い歴史を反映してか古風な雰囲気の曲である。
製作した櫻井音楽工房/テイチクエンタテインメントはこの実績を買われ、後に東日本旅客鉄道の発車メロディを担当することになる。
曲名は以下の通り。
古都の朝靄(各駅共通・六地蔵行き)
醍醐寺の鶯(各駅共通・太秦天神川行き)
春開き(御陵駅のみ・太秦天神川/京都市役所前行き)
詩仙堂猪脅し(御陵駅のみ・浜大津行き)
発車メロディについて詳しくは、京都市交通局公式サイトの「ハイパー地下鉄ダイヤ」を参照のこと。
これらのページではメロディを実際に聞くことができる(ただし、非常に音量が小さい)。
太秦天神川駅、もしくは京都市役所前駅~御陵駅の間では、6両編成(東西線車両)と4両編成(京阪京津線からの乗り入れ)が混在しているため、列車到着アナウンスでは、両数がかならず告げられる。
京阪車が到着したときは、6両分あるホームドアのうち、前方から4両分だけが開く。
運行形態
京阪電気鉄道京阪京津線からの列車が御陵駅から太秦天神川駅まで乗り入れている。
1日76往復(平日)の乗り入れ列車のうち、早朝・深夜を除いて28往復が概ね30分間隔で太秦天神川駅まで直通し、他は途中の京都市役所前駅まで運転される。
交通局の車両を使用する列車は東西線内六地蔵~太秦天神川駅間の運転で、交通局車は京阪京津線へは乗り入れない。
京津線は大津市内に併用軌道を抱えているため、浜大津発の京都市役所前・太秦天神川行き列車では東西線内でも1~2分程度の遅れが発生することが多い。
この遅れが後続の六地蔵発の太秦天神川駅行きの列車に影響することもある。
日中のダイヤは15分間隔で運転される京津線からの直通列車を除けば、開業当初は全線で10分間隔(1時間あたり6本)だったが、2000年3月に烏丸御池駅で連絡する京都市営地下鉄烏丸線と運転間隔を揃えるためもあり7分半間隔(1時間あたり8本)に増発され、これにより15分あたり東西線内列車2本:京津線直通列車1本のパターンになった。
2008年1月16日の太秦天神川延伸開業後は京津線からの直通列車を含めると京都市役所前~太秦天神川間で昼間1時間あたり10本の運転間隔となり、烏丸線よりも本数が多くなった。
1997年までの京阪京津線が御陵駅以西で地上を走っていた時期は、下記のような所要時間であった。
京津三条~御陵 準急10分 普通12分
現在の地下鉄東西線の所要時間は、下記のとおりである。
三条京阪~御陵 6~7分
利用状況
山科醍醐地域の住民の貴重な足となっている。
この地域は、団地や新興住宅地が多く、京都や大阪のベッドタウンを形成しているが、周辺道路事情の悪さから渋滞が慢性化している土地柄である。
地下鉄開業前は、京阪京津線などを除くと時間の読めない路線バスしか選択肢がなかったが、地下鉄開業により大幅にアクセスが改善された。
なお、交通局の合理化政策の一環として、開業に合わせて、1997年に同地区の市バスは全て京阪バスに移管された。
従来から山科醍醐地域に路線バスを走らせていた京阪バスは、移管・地下鉄開業にあわせて大幅に路線を変更した。
現在、この京阪バスは、三条京阪駅・河原町駅 (京都府)-山科駅、三条京阪・四条河原町-椥辻駅・小野駅・六地蔵駅、山科駅-六地蔵駅などで、東西線と競合する路線を走らせている。
上記3区間ではいずれも地下鉄東西線より安い運賃であることや、繁華街である四条河原町に乗り入れていることで、東西線の有力な競争相手となっている。
また山科駅での乗り換えで滋賀県(JR東海道本線(琵琶湖線)・湖西線、京阪京津線)方面や、二条駅乗り換えで京都府南丹(JR山陰本線(嵯峨野線))方面から京都市中心部に流入する利用も多く、六地蔵駅で京阪宇治線やJR奈良線乗換えで宇治・奈良方面への流動も見られる。
沿線には平安神宮・南禅寺・二条城といった観光地が近傍にあるが、現在の段階では観光客利用はそれ程多くない。
太秦天神川駅への延伸開業後の2008年3月28日に京福電気鉄道京福電気鉄道嵐山本線にも乗り換え駅として嵐電天神川駅が新設され、二条駅でのJR嵯峨野線に続いて嵐山方面との接続ルートが形成されたことから、利用が増加することが見込まれている。
建設までの経緯
戦後、京都市交通局は京都市電の新たな計画青写真として六地蔵~醍醐~山科~蹴上から御池通を縦断する路線(高架式も考えられた)を検討したがやがてモータリゼーションの波に洗われ計画は頓挫する。
しかしその計画は地下鉄路線として新たに練り直されることとなった。
東西線沿線は人口の伸びが著しい傾向を見せるが、それに周辺の道路整備が追い付かずに渋滞が深刻化していた京都市東部地域(山科区・伏見区東部)と都心部をつなぐための交通機関として1965年頃から計画が進められ、1969年の市議会で建設が正式に決定。
1975年頃にまず醍醐~二条間の建設を行うことが決定された。
しかし、その時計画されたルートのうち、御陵~三条京阪間は京阪京津線が地上を走っており、この競合が問題となった。
併設については、過当競争を招くとして、また、この区間の地下鉄を公営地下鉄方式で造り、そこに京阪線が乗り入れることは民営鉄道である京阪線の改良を公営方式で行うことになるために、不適当とされた。
協議の結果、京都市と京阪電気鉄道で第三セクター会社を設立し、そこが第三種鉄道事業者の免許を取得した上で、京都市が第二種鉄道事業者の免許を取得してその区間の列車運行を行うことに決まった。
こうしてできたのが京都高速鉄道株式会社である。
1988年に発足し、社長には当時の京都市長今川正彦が就任した。
こうして、京都高速鉄道が日本鉄道建設公団方式で地下鉄を新設し、乗り入れに伴って京阪京津線の地上区間は廃止されることとなった。
当初は平安建都1200年にあたる1994年の開業を予定していた。
しかし、京都の市街地の多くの地下には埋蔵文化財が存在し、その場所に開削工法による地下鉄工事を行う際には、文化財保護法によって事前の発掘調査が義務づけられており、それにかかわる経費と期間を予定しておかねばならない。
シールド工法による工事の場合にはこの問題は発生しないのであるが、京都市は工事の直接経費の節減を優先し、工区のかなりの部分(特に、国の史跡の「旧二条離宮〈二条城〉」の区域に入っていた押小路通)を開削工法で掘削することにした。
しかしこれによって、埋蔵文化財調査の経費と期間が必要となった。
さらに、東海道新幹線や鴨川 (淀川水系)を潜るのもかなりの難工事であった。
こうした経緯を経て、1997年に醍醐~二条間が開業。
京阪京津線が御陵~京都市役所前間に乗り入れを開始した。
二条駅までの開業の際、京阪京津線の乗り入れが当初予定していた三条京阪ではなく、その次の京都市役所前までだったのは、三条京阪駅西側はすぐ急カーブとなっている上に、直上に鴨川が流れているため、折り返し線設置には向いておらず、同駅付近では折り返し運転をするのに必要な空間が確保できなかったためである。
一方、二条駅まで乗り入れなかったのは、京都市交通局にとって車両使用料がかさむこと(相互乗り入れではなく、京阪車両の東西線への片乗り入れのため、乗り入れ車両の延べ走行距離に応じた車両使用料を、京都市交通局が一方的に京阪電気鉄道に支払わなければならない)、地上側の電力設備の増強が必要なこと、輸送力が過剰になること(二条~京都市役所前間を増発する必要性に乏しい)などが理由である。
その結果、京都市役所前の西隣の烏丸御池での京都市営地下鉄烏丸線との接続に問題が生じる結果を招き、『たった1駅の差で足止めされる』との烏丸線乗換客からの不平不満の声も散見されていた。
1999年には京都商工会議所から二条駅まで京津線乗り入れ区間の延長要望が出され、運行形態のとおり、2008年1月16日の太秦天神川までの延伸開業に併せて、太秦天神川駅に変電所を新設し、京阪京津線列車の乗り入れ区間を同駅まで延長することになった。
しかしそれでも諸事情で乗り入れ列車の1/3程度に留まっている(昼間時は2本に1本の割合)。
1997年の開業時(京阪京津線の地上区間廃止時)に九条山駅と日ノ岡駅が廃止された。
日ノ岡駅が御陵駅に統合される形で残ったのとは違って、代替駅の建設予定がなかった九条山駅周辺住民からは地下鉄駅設置の要望が出ていたが、難工事が予想された上に利用者が余り見込めないことから、計画段階当初より代替駅を建設する意思はなかった。
要望に対しては「バスを増設することによって対処する」との非現実的な返答(渋滞解消のための地下鉄建設であり、重複路線にバスを増設するはずがない)があったがそれもその場しのぎの逃げ口上であり、結局は空手形に終わった。
2007年10月現在九条山バス停(九条山駅とほぼ同一場所)から三条京阪方面や山科駅方面には京阪バスが走っているが、日中の三条京阪行きのバスは1時間に1~2本であり、1時間に4本の停車列車があった京阪京津線時代に比べて大幅に削減されている。
京都市営地下鉄東西線と京阪電気鉄道京津線
京都市営地下鉄東西線の建設は、1971年(昭和46年)の都市交通審議会の答申で具体化したが、山科~三条間のルートが当時営業していた京阪京津線の京阪山科~三条間と競合するため、京都市と京阪電気鉄道との間で協議が必要となった。
その協議の場において京都市側は、山科から現ルートよりも北側を山岳トンネルで貫いて京都市都心部へ直行する案を提示したが、京阪電気鉄道側が両線が競合するほどの輸送量は無いとこれに反対し、京阪電気鉄道が京津線の京阪山科~三条間を廃止し、京都市営地下鉄東西線へ乗り入れることで決着した。
その後、東西線の山科付近のルートの都合で、浜大津方面から京津線の山科での乗り入れは物理的に不可能となり、京津線と東西線との接続駅として、三条通を走る日ノ岡~御陵間に地下鉄御陵駅を新設し、ここに京津線の御陵駅を移設・地下化することに決まった。
京都市営地下鉄東西線の建設主体は、醍醐~御陵間6.3kmと三条京阪~二条間3.3kmの計9.4kmは京都市の施工、京阪京津線の置き換え区間となる御陵~三条京阪間3.3kmは京都市・京阪電気鉄道などが出資する第三セクター京都高速鉄道を設立して日本鉄道建設公団の施工となった。
そして、鉄道施設の完成後、京都高速鉄道が日本鉄道建設公団から25年間の分割払いで鉄道施設を譲り受け、京都市交通局に貸与し、京都市交通局が醍醐~二条間を一体的に運営することになり、1987年4月1日の国鉄分割民営化によって、それまでの「地方鉄道法」が廃止され、新たに「鉄道事業法」が施行されたことによって、京都市交通局が醍醐~御陵間と三条京阪~二条間の第一種鉄道事業者、御陵~三条京阪間の第二種鉄道事業者となり、京都高速鉄道が御陵~三条京阪間の第三種鉄道事業者となったことから、京阪電気鉄道も第二種鉄道事業者という経営形態が確立されたため、京津線の御陵~三条間の旅客営業を廃止せず、京都市交通局とともに京都高速鉄道から鉄道施設を借り受け、同区間の地下化、ルート変更する形で旅客営業を継続してはどうかと再検討されたが、諸経費などの絡みで既定方針どおりとなった。
もっとも、京都市交通局事業の慢性赤字や開業後の京阪電気鉄道の大津線事業の不振という現状から、京阪電気鉄道が第二種事業免許を取得し、業務委託などの形で事実上譲り受け、京津線と一体運営すべきという改善案も今なお一部に存在する。
年表
1997年(平成9年)10月12日 醍醐~二条間が開業。
京阪京津線が浜大津から御陵を経て京都市役所前まで乗り入れ開始。
2000年(平成12年)3月15日 醍醐~二条間の列車を昼間毎時6本から8本に増発。
2004年(平成16年)11月26日 六地蔵~醍醐間が延伸開業。
2008年(平成20年)1月7日 太秦天神川延伸開業に対応したダイヤ改正を先行実施。
ただし京阪京津線から乗り入れる列車は15日まで京都市役所前までの運転。
2008年(平成20年)1月16日 二条~太秦天神川間が延伸開業。
京阪京津線も太秦天神川まで乗り入れ区間を延伸。
西部への延伸構想
東西線は西京区の洛西方面および長岡京市までの延伸が構想として存在するが、差し当たり太秦天神川までの延伸に留まり、その後の延伸の具体的展望はなかなか描かれていない。
その背景には、以下の状況などが挙げられる。
地下鉄の建設費が高額。
京都市の財政事情が芳しくない。
洛西ニュータウンに至るまでの梅津・上桂地域などの沿線人口がそれほど多くない上に、阪急京都本線と競合する。
洛西ニュータウン自体の人口が横ばいあるいは減少傾向。
阪急桂駅以外に、阪急洛西口駅がすでに整備され、またJRの新駅(JR桂駅・仮称)も設置予定なことで、交通の不便さがある程度解消されてきた。
そのため、洛西ニュータウンへの路線は既存の計画とは切り離した上で、洛西口駅・JR桂駅までの独立した短距離路線で建設して、これらの駅での阪急京都線・JR京都線乗り換えで京都・大阪への都心部へのアクセスを向上させる方がまだ現実的と言う意見もある。
2002年の地下鉄天神川(当時の仮称)延伸起工式で、当時の桝本頼兼京都市長は、洛西への地下鉄延伸につき「私の悲願」と表現している。
また京都市の公式サイト上にも「(地下鉄は)洛西ニュータウンまでの整備を目指すが、財政状況を考慮し、まずは段階的に二条~天神川間から整備する」と表現している。
京都高速鉄道の解散
前述の通り、東西線は慢性的な赤字を抱えている。
そのため、京都市交通局は2008年5月12日に、2008年度中に京都高速鉄道を解散し2009年度より、東西線全線を市直営で運営する方針を決定した。
これは、京都市交通局が京都高速鉄道に建設費返済の財源として、年間55億円の線路使用料を支払っているが当初の借入金が高金利であること、人件費など会社の経費もかさむことなどが、地下鉄の経営悪化の要因となっているためである。
駅一覧
(1) 京阪京津線直通客を含む。
(2) 烏丸線の乗降客数を含み、東西線・烏丸線相互間の乗換客数は含まない(つまり、烏丸御池駅の改札を通過した人数である)。