京福電気鉄道 (Keifuku Electric Railroad)

京福電気鉄道株式会社(けいふくでんきてつどう)とは、京都市内で軌道事業(路面電車)とケーブルカー及び索道を運営している会社である。
大阪証券取引所に上場している。

概要

以前は福井県内でも鉄道事業を行っていたが、2003年をもってえちぜん鉄道に譲渡し撤退したため、京都での軌道事業と福井での小規模な不動産業を残すのみとなっている。
以後、同社唯一の軌道事業として残る京福電気鉄道嵐山本線・京福電気鉄道北野線は、嵐電(らんでん)と呼ばれ親しまれており、2007年3月からそれが公式愛称となった。

京福の社名は、鉄道事業を行っていた京都と福井の頭文字を採ったものだが、京都と福井を結ぶ鉄道計画があったわけではない。
京都は祇園を始め夜間の電力需要が多く、福井は逆に織物工場が稼動する昼間の電力需要が多いため、互いの電力を融通するために前身の京都電燈が建設した「京福送電線」が語源となっている。

大正期には競合する京阪電気鉄道と激しく争ったが、のちに資本を受け入れ、2007年3月31日現在は京阪電気鉄道が42.89%の株式を保有し京阪グループに入っている。
大株主として財務省 (日本)が8.33%の株式を保有しているが、これは以前の個人大株主の死去により、相続税の物納として同社株式が納められたことによるものである。
このため会社組織上は第三セクターに分類されるが、経営参加を目的とした所有でないため、通常は企業とされている。

福井県では三国競艇場の施設を保有している。

歴史

配電統制令により、京都電燈が配電事業を関西配電(関西電力の前身)・北陸配電(北陸電力の前身)へ、発送電事業を日本発送電へ譲渡し解散するのに伴い、同社の京都(嵐山線・北野線・叡山線)と福井(越前電気鉄道線)での鉄軌道事業を引き継ぐため1942年に設立され、同年中に傍系の鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄が合流した。

1944年には永平寺鉄道・丸岡鉄道も合併し、1950年頃には京都と福井で合わせて120.9kmもの路線網を擁することになったが、モータリゼーションの進展に伴い1960年代から1980年代にかけて、不採算路線・区間の廃止や、叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄として分社化するなどの合理化を進めている。

2000年12月と2001年6月、福井の越前本線で僅か半年間に2度の電車同士の正面列車衝突事故(京福電気鉄道越前本線列車衝突事故を参照)を起こし、国土交通省から福井地区各線の列車運行停止を命ぜられた。
京福電気鉄道は事業継続が困難になったとして、2003年に福井地区の鉄道事業(越前本線・三国芦原線)をえちぜん鉄道へ譲渡し撤退した。

越前本線からの撤退で京福は経営不安が表面化したため、2002年に保有する叡山電鉄の株式を全て京阪電鉄に売却している(親会社京阪による救済策とされる)。
これにより、叡山電鉄は京阪電鉄の完全子会社となった。

なお、京福においては、過去にも1964年1月には当時の鞍馬線で正面衝突炎上事故を起こし、わずかその7ヶ月後の同年8月には、越前本線発坂付近で下り旅客列車が貨物列車に追突する事故を起こしている。
またバス部門においても、1985年10月に2階建て観光バスが、中央自動車道においてガードレールを突き破り県道に転落する事故を起こし、乗客3名死亡、57名が重傷、運転していた乗務員は、その場で自殺するという痛ましい事故を起こしている。

京福の事業はいずれも小規模でスケールメリットを享受できないことから収益性が低く、歴史的に経営基盤が脆弱になりがちである。
このため、十分に安全投資ができず安全管理がおろそかになったのではないか、との指摘がある。

沿革

1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道株式会社設立。
京都電燈の鉄軌道事業を継承。

1942年(昭和17年)8月1日 鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄を合併。
鞍馬線、三国芦原線とする。

1944年(昭和19年)12月1日 永平寺鉄道・丸岡鉄道を合併。
永平寺線、丸岡線とする。

1963年(昭和38年)8月1日 福井県乗合自動車を合併し、福井地区のバス事業を直営化。

1968年(昭和43年)7月11日 丸岡線を廃止。

1978年(昭和53年)10月19日 叡山本線・鞍馬線の集電装置トロリーポール集電を集電装置パンタグラフ集電化。
トロリーバスを除く通常の鉄軌道路線では、日本国内最後のトロリーポール集電であった。

1985年(昭和60年)7月6日 叡山電鉄株式会社を全額出資の子会社として設立。

1986年(昭和61年)4月1日 叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄に分離譲渡。

2000年(平成12年)4月1日 福井地区で行っていた直営バス事業を子会社の丸岡バスに譲渡。
丸岡バスは京福バスに改称。

2000年(平成12年)12月17日 越前本線志比堺~東古市(現在の永平寺口)間で正面衝突事故。
運転士が死亡。

2001年(平成13年)6月24日 越前本線保田~発坂間で正面衝突事故。
福井地区各線の列車運行停止。

2002年(平成14年)10月21日 永平寺線を廃止。

2003年(平成15年)2月1日 福井地区の鉄道事業をえちぜん鉄道へ譲渡(形式的には一旦全線廃止)。

2007年(平成19年)3月19日 嵐山本線・北野線で駅ナンバリング制度を開始、7駅の駅名を変更。
日本の鉄道ラインカラー一覧を正式に導入(なお、駅番号とラインカラーはそれ以前から北野線の一部の駅で試用されていた)。

2008年(平成20年)4月1日 四条大宮・嵐山・帷子ノ辻・北野白梅町の各駅で発車メロディ導入。

現有路線

京福電気鉄道嵐山本線 A

京福電気鉄道北野線 B

京福電気鉄道鋼索線(叡山ケーブル)

叡山ロープウェイ

線名のあとのローマ字は駅番号の線別ローマ字記号とラインカラー。
京福電鉄の公式サイトなどでは、嵐山本線と北野線とを併せて、嵐山線と称されている。

譲渡・廃止路線

叡山本線(現:叡山電鉄叡山本線)

鞍馬線(現:叡山電鉄鞍馬線)

越前本線(現:えちぜん鉄道勝山永平寺線)

三国芦原線(現:えちぜん鉄道三国芦原線)

京福電気鉄道永平寺線

京福電気鉄道丸岡線

車両

京福電気鉄道では車体デザインは大きく変更しながらも、全車が同一性能を持つという車両設計の元、1990年代後半になるまで京福電気鉄道モボ101形電車の主要機器類を踏襲した自動加速制御の吊り掛け駆動方式車を導入してきた。
これは鉄道事業者としては異例である。
だが、最新の京福電気鉄道モボ2001形電車でWN平行カルダン駆動方式や可変電圧可変周波数制御を採用するなど、最新技術を多数採用している。

叡山本線・鞍馬線の車両は叡山電鉄、旧福井鉄道部の車両はえちぜん鉄道を参照。

運賃

嵐山本線、北野線を通じて、大人200円、子供100円の全線均一運賃である(2002年7月1日改定)。
かつては180円、210円、230円の区間制運賃であったが、スルッとKANSAI加盟に際し、下車時のみのカード処理で済ませられるよう、2002年7月1日から均一運賃となった。
これに伴い、不要となった各車両の乗車整理券発行機は撤去された。
なお、定期運賃は現在も距離制である。

乗車時の改札はなく、下車時に有人駅(四条大宮、帷子ノ辻、嵐山、北野白梅町)では改札口で、無人駅では運転士に、運賃を支払うか定期券を提示する。
現金での支払いのほか、有人駅ではあらかじめ乗車券や回数券を購入することもできる。

スルッとKANSAI対応カードは、無人駅で降車の場合、運賃箱に取り付けられた路線バスに設置されているものと同様の処理機に通す。
有人駅では、改札口に設置されている処理機にカードを通す。

上記の4つの有人駅や嵐電嵯峨駅前の商店・一部のホテルでは、500円(小児250円)で全線が1日乗り放題になる「嵐電1日フリーきっぷ」を発売している。
1日に3回以上乗車すれば割安になるほか、付属のクーポンで沿線社寺や観光施設で拝観料・入場料の割り引きを受けたり、粗品の進呈を受けたりすることができる。
予め購入して後日利用する場合のために、通用日はスクラッチ方式により利用者が決めることもできる。

2008年からは、地下鉄側の太秦天神川駅延伸、京福側の嵐電天神川駅開業を受けて、同年3月28日から「京都嵐山・びわ湖大津1dayチケット」、「京都地下鉄・嵐電1dayチケット」が発売された。

関連商品

2003年に、大手ゲームメーカータイトーの列車運転ゲーム『電車でGO!』に、京福電鉄として登場している(路線は、嵐山本線、北野線)。

ハセガワよりモボ101形「嵐電」のNゲージ鉄道模型が発売されている。

[English Translation]