京阪京津線 (Keihan Keishin Line)
京津線(けいしんせん)は、京都府京都市山科区の御陵駅から滋賀県大津市の浜大津駅までを結ぶ京阪電気鉄道の軌道 (鉄道)路線。
全区間が軌道法の適用を受けている。
京阪石山坂本線と合わせて京阪大津線と総称されている。
大津線ではラインカラーが採用されており、京津線のラインカラーは黄色である。
京津線ではスルッとKANSAI対応カードが利用できる。
また、2007年4月1日からPiTaPaが導入され、同時に西日本旅客鉄道(JR西日本)が発行するICOCAも利用可能になった。
路線データ
路線距離(営業キロ):7.5km
軌間:1435mm
駅数:7駅(起終点駅含む。地下駅1駅・地上駅6駅)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞 (鉄道):自動閉塞式
保安装置:自動列車停止装置京阪型速度照査ATS
概要
かつては京阪本線と共通の三条駅 (京都府)(後に同線から分離して京津三条駅と改称)が起点で、蹴上駅 (京阪)付近では碓氷峠や東急玉川線並みの66.7パーミルの急勾配を越え、御陵駅までは併用軌道も交えて京都・大津間を結んでいたが、1997年10月12日に御陵駅以西が廃止され、京都市営地下鉄東西線へ乗り入れを開始した。
同駅以東の逢坂山を越える大谷~上栄町間にも61&permilの勾配区間がある。
浜大津駅付近は併用軌道となっており、4両編成もの電車が併用軌道区間を走り地下鉄へ乗り入れるというのは日本全国でここだけである(特例として認可)。
京都と大津の都市間輸送としては所要時間や運転本数、運賃などの面で並走する西日本旅客鉄道の琵琶湖線に対して大きな差がある。
特に運賃は京津線は地下鉄東西線開通以後、三条~浜大津間などでは京都市営地下鉄と京阪の運賃が別々に加算されることから一気に高くなった。
また、淀屋橋~浜大津では京阪(京阪線)と京都市営地下鉄と京阪(大津線)の3区間の運賃の加算になったばかりか、普通乗車券の連絡運輸が行われなかったため、三条を境にして切符の買い直しを強いられることになり、不便さが増した(ただし、これはスルッとKANSAIやPiTaPaの普及である程度解消された)。
三条京阪駅~御陵駅の京都高速鉄道区間を京阪が京都市営地下鉄と同様に第二種鉄道事業免許を取得すれば運賃面では有利になったのだが、京阪の負担が過大になることから第二種鉄道事業免許を取得せず、通常の乗り入れ形式を取ることになったという経緯がある。
もっとも、京都市交通局事業の慢性赤字や東西線開業後の京阪電気鉄道の大津線事業の不振という現状から、京阪電気鉄道が東西線の第二種鉄道事業免許を取得し、業務委託などの形で事実上譲り受け、京津線と一体運営したほうがよいという意見も今なお一部に存在するなど、状況改善を望む声も少なくない。
石山坂本線と2線あわせて年間15億円程度の赤字が出ており、一部マスコミから大津線自体の廃線も検討されていると報じられることもあった。
そこで京阪本社は地元自治体(大津市など)との間で、今後の運営のあり方についての協議を始めている。
京阪は、これら2線の経営を本社から分離し、独立採算制をとる分社化を検討しており、当初2004年秋に分社化を予定していたが、この時点で分社化しても収支改善が見込めず経営に行き詰まるとして見送られ、経費削減を図り収支が均衡した時点で分社化に踏み切ることになっている。
運行形態
早朝・深夜などに四宮~浜大津間の列車があるが、それ以外の全列車が京都市営地下鉄東西線に直通運転している。
概ね毎時4本の直通列車のうち2本が早朝・深夜を除いて太秦天神川駅まで、残りは京都市役所前駅まで乗り入れる。
これにより、以前の起点の京津三条駅(現在の三条京阪駅)までの沿線をカバーしている。
かつては急行(京阪山科にはかつて待避線が設けられており、ここで普通列車と緩急接続を行っていた)や準急(停車駅は京津三条、御陵より各駅)の運転、石山坂本線との直通運転もあったが、現在はすべて浜大津駅折り返しで普通列車のみの運転である。
地下鉄東西線開業以前の準急列車は、京津三条・浜大津駅間を24分で運転していた。
現在の地下鉄東西線乗り入れ列車は、三条京阪・浜大津駅間を22分で運転している。
地下区間で高速運転が可能になったことで若干の速達化が図られたといえる。
御陵駅では停車時間が長めに設定されている。
昼間時間帯は15分間隔で運転されるが、本数が少ないため自動車やJRに苦戦している。
このため、京阪線と同じ10分間隔に増発するよう要望があるが、東西線開通前は2両編成・15分間隔だったのに比べて乗客が減少しているのに、輸送力は逆に4両編成・15分間隔と倍増しており、さらに輸送力を増やすと支出がかさむために実現していない。
なお、京津線直通以外の東西線列車は現在7分半間隔の運転であるが、1997年の開通当初は10分間隔で京津線直通とパターンがずれていたのを解消するため、2000年に7分半間隔に増発して京津線直通とパターンを合わせたという経緯がある。
京津線直通を10分間隔に増発すると再度のパターン修正が必要になるという弱点もある。
現在は全線でワンマン運転を行っている。
列車内で料金を収受せず、駅では改札口を利用するいわゆる「都市型ワンマン列車」であることから、列車内に運賃箱がない。
なお、毎年8月8日の「びわ湖大花火大会」の日のみ浜大津発、御陵行の臨時列車も運転される。
この日は乗降客の安全確保などの理由により京阪線から派遣された車掌が乗務するツーマン運転が行われている。
京都市営地下鉄東西線乗り入れ区間延長
1997年10月12日に開業した京都市営地下鉄東西線は、中京区の二条駅と伏見区の醍醐駅 (京都府)を結び、さらに2004年11月26日には地下鉄が初めて京都市街を飛び出して宇治市の六地蔵駅まで延伸され、そして2008年1月16日に二条駅と右京区の太秦天神川駅との間が開通した。
これに伴い京阪京津線の地下鉄東西線乗り入れ区間もそれまでの京都市役所前駅から一気に新しい西の終点駅の太秦天神川駅まで延長された。
なお、開通後の運行形態は浜大津方面は7時台~21時台、御陵方面は6時台~19時台の時間帯の半数の列車(概ね30分間隔)が太秦天神川発着・その他の列車は京都市役所前発着となった。
なお、この2008年1月に行われたダイヤ改正では、地下鉄化後初の減便改正となり、日中の15分間隔である事は変わらず、昼間以外の時間帯で減便がなされた。
使用車両
京阪800系電車 (2代)
京津電気軌道時代
1906年(明治39年)3月19日 - 京津電気軌道が京都市下京区三条通大橋町117番地先~大津市御蔵町間の軌道敷設を出願。
(不明)
京都電気鉄道株式会社他1社が京都市下京区三条通大橋町117番地先~大津市御蔵町間の軌道敷設を出願。
務官庁が京津電気軌道株式会社、京都電気鉄道株式会社他1社に対して合流・妥協を要請。
京都電気鉄道株式会社が京津電気軌道株式会社と合流。
1907年(明治40年)1月24日 - 軌道法に基づき、京津電気軌道に対して京都市下京区三条通大橋町117番地先~大津市御蔵町間の軌道敷設特許、並びに命令書が交付。
1910年(明治43年)3月28日 - 京都商工会議所で京津電気軌道株式会社の設立総会が開催され、資本金150万円で京津電気軌道株式会社が発足し、初代社長に奥繁三郎衆議院議長が就任。
1911年(明治44年)4月22日 - 京津電気軌道に対して工事施工認可が下りる。
1911年(明治44年)6月21日 - 軌道敷設工事が滋賀県側で着工。
1911年(明治44年)8月1日 - 逢坂山トンネル着工。
1911年(明治44年)12月4日 - 逢坂山隧道貫通。
1912年(明治45年)6月16日 - 日ノ岡取工事完了。
1912年(明治45年)6月19日 - 四宮発電所竣工。
1912年(明治45年)7月11日 - 客車12両竣工。
1912年(大正元年)8月15日 - 京津電気軌道が古川町(後の東山三条駅、1997年10月12日廃駅)~上関寺駅(現在の大谷~上栄町間にあった駅、1971年8月15日廃駅)間、上関寺~札ノ辻駅(現在の上栄町~浜大津間にあった駅、1946年10月1日廃駅)間開業。
総工費:145万1,107円73銭。
正式な開業区間は古川町駅が起点であったが、実際には三条大橋駅を起点として運行されていた。
道路管理者の京都市側の事情で三条大橋~古川町は仮開業となる。
1912年(大正元年)12月13日 - 軌道法に基づき、京津電気軌道に対して三条大橋~古川町間の軌道敷設特許、並びに命令書が交付。
1912年(大正元年)12月14日 - 上関寺駅付近の官設鉄道東海道本線(現在の西日本旅客鉄道東海道本線)との立体交差の築堤工事が完成し、古川町~札ノ辻間の直通運転を開始。
1913年(大正2年)3月1日 - 大津電車軌道(現在の京阪電気鉄道石山坂本線)との連絡切符の発売を開始。
1916年(大正5年)5月1日 - 官設鉄道東海道本線の京都~馬場(現在の膳所)間の現行ルートの建設工事に伴い、御陵~毘沙門道間の一部を東海道本線の北側へ移設工事開始(竣工は大正10年8月1日)。
1921年(大正10年)8月1日 - 毘沙門道駅を山科駅前駅(現在の京阪山科駅)に改称。
1922年(大正11年)2月22日 - 札ノ辻~浜大津間の軌道敷設延長を出願。
1922年(大正11年)2月29日 - 安曇川上流に中村水力発電所が完成。
1923年(大正12年)2月20日 - 仮営業であった三条大橋駅を三条通上から京阪電気鉄道京阪本線、三条駅東側に移設し、古川町~三条大橋間が正式に延伸開業。
太湖汽船・琵琶湖汽船との連絡割引切符の発売を開始。
1924年(大正13年)8月30日 - 京阪電気鉄道株式会社と合併に関する仮条約を締結。
1924年(大正13年)9月27日 - 京阪電気鉄道株式会社の臨時株主総会において、京津電気軌道株式会社の軌道事業を325万円で譲り受け、同社を合併することが決議されるとともに、京阪電気鉄道株式会社の資本金が5,077万円に増資。
(旧)京阪電気鉄道時代
1925年(大正14年)2月1日 - 京津電気軌道株式会社が京阪電気鉄道株式会社と合併し、京阪電気鉄道の京津線となる。
1925年(大正14年)5月5日 - 札ノ辻~浜大津間が延伸開業し、全線開通。
浜大津駅を新設。
1926年(大正15年)9月1日 - 旧京津電気軌道が行っていた配電事業を京都電燈に譲渡。
1927年(昭和2年)9月21日 - 御陵駅を新築移転。
1928年(昭和3年)7月1日 - 応天門駅を神宮道駅(後の平安神宮前駅, 1944年廃駅)に、広道駅を岡崎道駅(1931年2月20日廃駅)に、それぞれ改称。
1928年(昭和3年)11月20日 - 自動閉塞信号機の使用を開始。
1931年(昭和6年)2月9日 - 線路移設工事のため、蹴上駅の仮ホーム使用を開始。
1931年(昭和6年)2月20日 - 専用軌道上の古川町~蹴上間を三条通上の併用軌道に移設したことにより営業キロが86m短縮。
神宮道駅を三条通上の併用軌道に移設。
岡崎道駅を廃止。
1931年(昭和6年)3月25日 - 蹴上駅の新ホームが竣工。
1931年(昭和6年)3月28日 - 古川町駅を旧位置に移設。
1931年(昭和6年)7月23日 - 四宮~追分間の京都府京都市と滋賀県大津市との境界付近に緑ヶ丘運動場前臨時駅を新設。
1932年(昭和7年)2月16日 - 大谷~追分間併用軌道の専用軌道工事竣工。
1932年(昭和7年)4月7日 - 大谷駅を新築移転。
1933年(昭和8年)2月1日 - 日本初の複巻電動機付回生制動車50形電車営業運転開始。
1933年(昭和8年)5月11日 - 蹴上~日ノ岡間の併用軌道を専用軌道に移設。
1933年(昭和8年)6月15日 - 三条大橋~浜大津間の所要時間を最速27分に短縮。
1934年(昭和9年)3月19日 - 日本初の連接台車京阪60形電車3編成竣工し、「びわこ号」と命名。
1934年(昭和9年)4月2日 - 三条駅・三条大橋駅経由の京阪本線・京津線の直通運転が開始。
60形電車を使用し、天満橋駅~浜大津間に特急「びわこ号」の運転が開始され、天満橋~浜大津間が最速72分で結ばれる。
1934年(昭和9年)4月17日 - 山科駅前駅の待避線が完成し、三条大橋~浜大津間の急行運転が開始され、三条大橋~浜大津間の所要時間を最速21分に短縮。
1936年(昭和11年)6月25日 - 天文台下駅開業。
1936年(昭和11年)10月10日 - 軌道・鉄道線路名が改正され、大津線に属する京津線となる。
1937年(昭和12年)8月20日 - 大津線の旅客運賃の改正を実施し、旅客運賃を値下げ。
1939年(昭和14年)6月20日 - 京津線と石山坂本線との連絡線が完成。
1940年(昭和15年) - 戦時体制下の下、紀元二千六百年記念行事と相まって京津線開業30周年の祝意を表す最小限の企画が実施。
1940年(昭和15年)2月頃 - 京阪線京津線の「びわこ号」による直通運転が停止される。
1941年(昭和16年)2月1日 - 神宮道駅を平安神宮前駅に改称。
1942年(昭和17年) - 緑ヶ丘運動場前臨時駅を廃止。
1943年(昭和18年)4月15日 - 天文台下駅を九条山駅に改称。
京阪神急行電鉄時代
1943年(昭和18年)10月1日 - 戦時中の企業統合政策、陸上交通事業調整法により、京阪電気鉄道株式会社が阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社(現在の阪急電鉄株式会社。法人格としては現在の阪急阪神ホールディングス株式会社)が発足(書類上の存続会社は阪神急行電鉄株式会社)。
京阪神急行電鉄の京津線となる。
1943年(昭和18年)11月10日 - 長等公園下駅を廃止。
1944年(昭和19年)4月1日 - 平安神宮前駅、日ノ岡駅を廃止。
1944年(昭和19年)9月5日 - 通勤列車の営業運転を開始。
1944年(昭和19年)11月21日 - 三条大橋~山科駅前間の折り返し列車運転のため、山科駅前駅に亘り線を新設。
1945年(昭和20年)1月25日 - 「大化の改新1300年祭」に天満橋駅から京阪線・京津線経由坂本線の「近江神宮駅」へ直通列車が運転される(63号)。
1945年(昭和20年)4月 - 1944年12月11日に廃止された愛宕山鉄道の客車3両を譲受。
1945年(昭和20年)5月15日 - 蹴上駅、大谷駅、札ノ辻駅を休止。
1945年(昭和20年)6月1日 - 大谷駅の営業再開。
1945年(昭和20年)10月2日 - 蹴上駅の営業再開。
1946年(昭和21年)1月1日 - 長等公園下駅の営業再開。
1946年(昭和21年)4月25日 - 九条山駅付近で発生した土砂崩壊のため、上下線が不通になる。
翌26日始発から上り線のみ運行を再開。
1946年(昭和21年)5月10日 - 京津線の浜大津駅を石山坂本線の南側の路面上から同線の北側の船溜跡に移転。
1946年(昭和21年)10月1日 - 休止中の札ノ辻駅を廃止。
1946年(昭和21年)10月21日 - 学校修学旅行団体に限って京津線の団体旅客取扱を再開。
1948年(昭和23年)2月1日 - 三条大橋~浜大津間急行列車の運転を再開(最速25分)。
三条大橋~石山坂本線石山寺間直通運転を開始。
1948年(昭和23年)5月18日 - 全線で旅客運賃を改定し、旅客運賃を7割5分値上げ。
また、大津線の区間制が変更され、京津線内の区間が、それまでの3区から4区となる。
1948年(昭和23年)10月15日 - 長等公園下駅の下り線ホームの使用を中止。
1948年(昭和23年)10月31日 - 長等公園下駅の下り線ホームの使用を再開。
16時40分頃、上り25号車が蹴上~九条山間でポールが外れ停車中、急勾配のため自然後退し、後続の58号車に衝突。
同車もこの衝撃で後退し、さらに神宮道で停車中の72号車に衝突、3両とも中破した。
乗客中死者1名、重軽傷70名。
1949年(昭和24年)5月1日 - 全線で旅客運賃を改定。
1949年(昭和24年)5月20日 - 22時25分頃、蹴上の都ホテル前で京津線の三条大橋行の37号車のモーター回路が地絡して主回路遮断器が熔解し、乗客8名が火傷を負う事故が発生。
1949年(昭和24年)7月16日 - 土曜・日曜・祝日に限り浜大津~天満橋間直通の「びわこ号」運転再開。
1949年(昭和24年)8月7日 - 4時30分頃、四宮車庫で火災が発生し、建物と客車22両を焼失。
三条大橋~石山直通列車を一時中止。
急行・普通ともに15分毎に運転し、その不足分を京阪自動車(現在の京阪バス)がバスを増発して輸送を補う。
1949年(昭和24年)8月8~13日 - 京津間旅客輸送に京阪自動車がバスを電車代替車として臨時ダイヤを実施。
1949年(昭和24年)11月25日 - 三条大橋駅を京阪本線の三条駅に統合。
1949年(昭和24年)11月30日 - 統合された三条駅が竣工。
地下鉄東西線開業前
1949年(昭和24年)12月1日 - 京阪神急行電鉄株式会社から京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線が分離譲渡され、資本金3億34万円で京阪電気鉄道株式会社が再発足し、再び同社の京津線となる。
1949年(昭和24年)12月11日 - 普通列車の三条~浜大津間の所要時間を最速32分に短縮。
1949年(昭和24年)12月30日 - 2両連結運転開始に伴う御陵駅、山科駅前駅、四宮駅の各駅の拡張改良工事完了。
1950年(昭和25年)1月7日 - 古川町駅の上り線に安全地帯を設置。
1950年(昭和25年)1月30日 - 四宮車庫の火災によって焼失した大津線車両22両のうち復旧困難な客車15両と老朽電動客貨車各1両(20形1両、撒水車1両)を廃車。
1950年(昭和25年)9月3日 - ジェーン台風によって駅や変電所などに被害が発生し、その被害額は約3,000万円に及ぶ。
大津線の関西電力送電線事故のため、12時30分から約12時間半に渡って停電し、京津線を走行中の13の旅客列車が営業線上に停車。
1950年(昭和25年)9月4日 - 1時50分頃に停電が復旧したため、初発から平常運転を実施。
1950年(昭和25年)9月10日 - 四宮駅上り副本線の新設に伴い、上り急行列車の待避駅を京阪山科駅から四宮駅に変更。
1950年(昭和25年)10月30日 - ジェーン台風による大津線の被害復旧工事が完了。
1950年(昭和25年)11月25日 - 古川町駅を東山三条駅と改称。
1950年(昭和25年)12月25日 - 大谷~上関寺間の軌道の一部移設工事を完了し、上関寺駅上り線ホームを高床ホームに変更。
1951年(昭和26年)4月1日 - 三条~浜大津間の普通列車の所要時間を最速30分に短縮。
1951年(昭和26年)5月15日 - 総事業費88万4千円をかけ、長等公園下~浜大津間の併用軌道改良工事を着工。
1951年(昭和26年)10月15日 - 三条~東山三条間の併用軌道改良工事を完了。
1951年(昭和26年)10月20日 - 蹴上~九条山間の下り線の水害復旧工事を完了。
1951年(昭和26年)12月22日 - 天満橋~浜大津間にスキー列車の運転を開始。
1952年(昭和27年)10月31日 - 大津線5形電車3両を廃車。
1952年(昭和27年)12月20日 - 九条山~御陵間約300mの併用軌道改修第2期工事を完了。
1953年(昭和28年)4月1日 - 山科駅前駅を東へ100m移設し、京阪山科駅と改称。
1953年(昭和28年)7月21日 - 三条~九条山間の不通箇所間は、京阪自動車で代替輸送し、列車は九条山に仮ホームを設け、浜大津~九条山間の折り返し運転を実施。
1953年(昭和28年)10月13日 - 上関寺国道踏切の遮断機を半自動式に変更。
1953年(昭和28年)11月24日 - 200形電車運転に伴う京津線の工事方法の変更が認可。
1953年(昭和28年)12月15日 - 大津線車両にスライダー式トロリーポールの試験的使用を開始。
1953年(昭和28年)12月28日 - 日ノ岡駅の営業再開。
1953年(昭和28年)12月30日 - 200形電車連結運転に伴う三条曲線の変更工事、並びに浜大津駅の改良工事を完了。
1954年(昭和29年)1月4日 - 日ノ岡駅に安全地帯を新設。
1954年(昭和29年)1月25日 - 浜大津経由の三条~石山寺間の急行運転が開始。
1954年(昭和29年)1月29日 - 大津線車両に車輪々縁注油器の試験使用を開始。
1954年(昭和29年)4月11日 - 九条山防災工事に着工。
1954年(昭和29年)7月4日 - 大津線各駅から宇治直通団体客に対して60形電車を運転。
1955年(昭和30年)12月7日 - 御陵国道踏切(後の御陵府道踏切, 1997年10月12日廃止)の遮断機を自動水平昇降式に改修。
1956年(昭和31年)1月10日 - 線路名称が制定され、大津線に属する京津線となる。
1956年(昭和31年)1月15日 - 石清水厄除大祭参詣客のため、三条経由の八幡町(現在の八幡市)~浜大津間直通臨時急行「やわた」号を運転。
1956年(昭和31年)5月24日 - 大津線車両200形201-202号車に車内放送装置を取り付け、試験使用を実施。
1956年(昭和31年)9月13日 - 大津線客車7両に車内放送装置を設置。
京津線追分~大谷間の八新踏切(現在、廃止?)で京津線車両と国警乗用車との接触事故が発生し、運転手および乗車中の滋賀県経済部長が即死。
1956年(昭和31年)10月15日 - 追分~大谷間の重軌条更換工事を完了。
1956年(昭和31年)12月15日 - 総工費380万円をかけた三条~東山三条間の併用軌道舗装改修工事が完了。
1957年(昭和32年)1月10日 - 三条駅入口付近の曲線部軌条更換工事と浜大津駅の改良工事を着工。
1957年(昭和32年)2月15日 - 京阪山科~追分間での重軌条更換工事を完了。
1957年(昭和32年)3月15日 - 総工費213万円を投じた三条駅入口付近の曲線部軌条更換工事が完了。
1957年(昭和32年)4月26日 - 大津線京阪260形電車2両を新造。
1957年(昭和32年)7月10日 - 九条山~日岡間の重軌条更換工事を完了。
1957年(昭和32年)7月11日 - 大津線260形電車5両を新造。
1957年(昭和32年)7月15日 - 浜大津駅改良工事完成。
1958年(昭和33年)12月24日 - 大津線車両のうち急行車用26両に暖房器を新設。
1959年(昭和34年)1月20日 - 電車の集電装置(集電装置トロリー)をホイール式からスライダー式に変更。
1959年(昭和34年)3月1日 - 長等公園下駅の改築工事が完了し、上栄町駅と改称されるとともに、急行停車駅となる。
1959年(昭和34年)4月8日 - 14日まで皇太子殿下御成婚奉祝花電車を運転。
1959年(昭和34年)12月25日 - 京阪山科駅の連動装置を遠方制御式に変更。
1961年(昭和36年)8月12日 - 抑速回生と発電ブレーキ併用の高性能車京阪80形電車営業運転開始。
1961年(昭和36年)11月23日 - 浜大津~枚方公園間の「菊号」の運行をもって、60形電車による京阪線への直通運転を中止。
1965年(昭和40年)6月24日 - 300形電車(2代)4両が竣工(この時、片町駅の側線から搬入され京阪線を走らせて京津線へ送られた)。
1966年(昭和41年)11月4日 - デッドマン装置の未取り付け車43両にデッドマン装置の取り付けを完了。
1968年(昭和43年)3月25日 - 運転間隔を15分毎(三条~石山寺急行、三条~浜大津普通)から20分毎(三条~石山寺急行、三条~浜大津普通、三条~四宮普通)に変更し、京阪線の間隔に合わせる。
1970年(昭和45年)7月1日 - 京津線に過速防止装置の使用を開始。
1970年(昭和45年)7月30日 - 三条駅で60形電車(びわこ号)のお別れ式を挙行。
1970年(昭和45年)8月23日 - 電車の集電装置をスライダー式ポールから集電装置パンタグラフに変更。
(不明) - 三条駅構内の京阪本線との連絡線路を撤去
1970年(昭和45年)7月 - 80形電車81~93を順次2両連結編成に改造(1972年1月までに2両固定編成化完了)。
1970年(昭和45年)10月 - 80形94~96は2連連結用としてに竣工。
1971年(昭和46年)8月15日 - 上関寺駅廃止。
大規模なダイヤ改正が実施され、運転間隔を20分毎から15分毎(三条~石山寺または浜大津準急、三条~四宮普通)に変更することにより京津線と京阪本線との連絡が強化。
全列車を2両連結編成での運行とし、単行運転を廃止。
急行は朝夕のみの運行となる。
1979年(昭和54年)4月16日 - 京阪500形電車 (2代)営業運転開始。
1979年(昭和54年)9月20日 - 西大津バイパスのインターチェンジ建設と国道1号線拡幅のために四宮駅の東から追分駅の東・名神高速の交差部分までの区間、京津線の線路を約15m北側へ移設。
追分駅移設竣工。
1980年(昭和55年)10月30日 - 大津線全車両62両に排障器および補助排障器の取付けが完成。
1981年(昭和56年)1月9日 - 浜大津駅前の京津線と石山坂本線との連絡線を廃止し、浜大津経由の三条~石山寺間の直通運転を廃止。
1981年(昭和56年)4月12日 - 京津線の浜大津駅が石山坂本線の同駅に統合。
ダイヤ改正を実施し、急行を廃止。
1981年(昭和56年)7月31日 - 浜大津駅の移設・統合化工事が完成。
京津線の旧浜大津駅は、現在、明日都浜大津ビルがある場所にあった。
石山坂本線の旧浜大津駅は、現在の浜大津駅の西側にある京阪電気鉄道大津鉄道事業部がある場所にあった。
浜大津駅の統合によりスイッチバックがなくなることになり、石山坂本線内で京津線車両の向きが逆になり保守点検などで不都合が生じることになった。
そのため錦織車庫に転車台を仮設して同年5月28日~6月8日にかけて京津線の車両(80形16両・260形12両・500形4両)を1両ずつ向きを逆転させる作業が行われた。
1984年(昭和59年)4月1日 - ATSの設置を完了。
1984年(昭和59年)4月26日 - 京津線初の冷房車京阪600形電車営業運転開始。
1986年(昭和61年)1月17日 - 列車無線連絡装置の使用を開始。
1986年(昭和61年)7月30日 - 全駅で朝夕ラッシュ時に禁煙タイム実施。
1987年(昭和62年)5月24日 - 京阪本線の東福寺~三条間の地下化により、三条駅が地上と地下とに分断され、京津線が地上に取り残される。
1989年(平成元年)4月12日 - 冷房化した80形電車1編成の使用を開始。
1989年(平成元年)10月1日 - プリペイド式の「Kカード」を導入。
1992年(平成4年)5月1日 - 建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧に対応した京阪700形電車 (3代)営業運転開始。
1992年(平成4年)11月14日 - 700形電車705-706に京阪電気鉄道初の車椅子スペースが設置され竣工。
1994年(平成6年)12月29日 - 600形電車の建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧準備工事を完了。
1995年(平成7年)1月30日 - 京阪電気鉄道株式会社と京都市の間で京津線列車の京都市営地下鉄東西線への乗り入れ関する基本協定が締結される。
1995年(平成7年)9月1日 - 車内普通券発券機を導入。
1995年(平成7年)12月29日 - 地震計の使用を開始。
1996年 (平成8年)10月28日 - 京都市交通局東西線直通用車両京阪800系電車 (2代)の搬入開始(翌年6月までに8編成32両が導入される)。
1996年(平成8年)11月2日 - 四宮駅の延伸部分の使用を開始。
1996年(平成8年)11月14日 - 追分駅改修工事竣工、ホームに地元作家の書かれた「大津絵」4枚が掲げられる。
1996年(平成8年)11月16日 - 大谷駅を東へ71m(営業キロ上は0.1km)移設、ホーム4両編成対応化。
1996年(平成8年)11月 - 終電~始発間の深夜に石山坂本線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、800系電車の試運転開始(翌1997年7月まで)。
(不明)
京阪山科~浜大津間の4両編成対応のホーム延伸工事を完了。
御陵府道東踏切付近で下り線側から京都市営地下鉄東西線へ接続する新線への単線渡り線と架線を設置
1997年(平成9年)4月8日 - 800系が京都市営地下鉄東西線に乗り入れての試運転を開始、7月末までに全車32両が東西線での試運転を行う。
1997年(平成9年)6月28日 - 四宮駅新駅舎供用開始。
1997年(平成9年)7月1日 - 大津支社廃止。
1997年(平成9年)10月11日 - 80形81-82号車による京津三条~四宮(早朝のみ京津三条~浜大津)間の普通と260形261-262号車による京津三条~浜大津間の準急を京津三条~御陵間のさよなら列車として運行(詳細な最終日の様子は京津三条~御陵間の廃止に関する出来事を参照)。
地下鉄東西線開業後
1997年(平成9年)10月12日 - 京津三条~御陵間3.9km廃止。
京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅、九条山駅、日ノ岡駅を廃止。
御陵駅を西へ約300m移設し、京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化。
御陵府道東踏切付近~御陵間を地下新線に切り換え。
架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
京都市営地下鉄東西線京都市役所前まで直通運転開始。
800系電車営業運転開始。
浜大津駅で出発式が行われ、一番列車となる浜大津駅5時12分発の普通京都市役所前行(800系801-802-803-804号車)が発車。
京津線専用の80形電車、京津線・石山坂本線用の260形電車、石山坂本線専用の京阪350形電車の大津線内での営業運転を廃止し、600形・700形電車を石山坂本線専用とする。
保線用の貨122号車を廃車。
以上により京阪電鉄車両の冷房化率100%と大津線の回生ブレーキ搭載車率100%を達成。
準急が廃止され、大津線内の優等列車は全廃となり、普通列車のみの設定となる。
大津線と京都市営地下鉄との連絡乗車券の発売を開始し、大津線と京阪線との連絡乗車券の発売を廃止。
京都市営地下鉄東西線を介した大津線と京阪線との連絡定期券の発売を開始。
1997年(平成9年)10月27日 - 大津線で廃車となった260形261-262号車、貨122号車の台車をアメリカ合衆国のシーショア・トロリー博物館とミネソタ博物館に無償譲渡。
1998年(平成10年)8月8日 - びわ湖大花火大会開催日に限った御陵~浜大津間の臨時運行を開始。
1998年(平成10年)12月31日 - 初の「おおみそか延長運転」を実施。
1999年(平成11年)6月1日 - 大津線列車運行管理システムの使用を開始。
2001年(平成13年)5月10日 - 京都市営地下鉄東西線の特定区間である三条京阪~御陵間との定期旅客運賃を改定。
2001年(平成13年)11月 - 諸羽神社踏切、円光寺道踏切十禅寺道踏切に踏切障害物検知装置を設置。
2002年(平成14年)1月 - 臨時貸切列車「おでんでんしゃ」として600形電車が京津線に入線。
2002年(平成14年)1月15日 - 京阪山科駅、四宮駅、上栄町駅の各上り線で係員配置時間帯のみ自動改札機の使用を開始。
2002年(平成14年)3月1日 - 京津線に「スルッとKANSAI」システムを導入。
追分駅と大谷駅で自動改札機の使用を開始。
大谷駅と上栄町駅で発駅証明書発券機の使用を開始。
京津線全駅(一部ホームを除く)で自動改札機と自動精算機の導入が完了。
2002年(平成14年) 11月30日 - 全列車をワンマン運転化(ただし、びわこ花火大会が開催される時間帯は安全確保のため、京阪線から派遣された車掌が乗務し、ツーマン運転を実施)。
2004年(平成16年)6月1日 - 京阪大津線公式ウェブサイト「keihan-o2.com」開設。
2005年(平成17年)12月31日 - この年の運転をもって「おおみそか延長運転」を休止。
2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPaシステムを導入。
2008年(平成20年)1月16日 - 京都市営地下鉄東西線の二条~太秦天神川間の延伸開業に伴い、同線への乗り入れ区間を太秦天神川まで延長
現存区間
普通列車のみ運転、全列車各駅に停車。
京都市営地下鉄東西線については京都市営地下鉄東西線の項を参照のこと。
※京津三条~御陵間廃止前の御陵~京阪山科間の営業キロは1.3km
現存区間の廃止駅
上関寺駅:大谷~上栄町間(1971年8月15日廃止)
札ノ辻駅:上栄町~浜大津間(1946年10月1日廃止)
現存区間の過去の接続路線
大谷駅:東海道本線(1921年7月31日まで)
浜大津駅:江若鉄道(1969年10月31日まで)
廃止区間
取り消し線を引いた駅はこの区間の廃止前に廃止された駅。
名称は廃止時点のもの。
御陵~浜大津間の現存区間は現存区間を参照。
御陵駅は京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化。
東山三条駅と蹴上駅はそれぞれ現在の地下鉄東山駅 (京都府)、蹴上駅とほぼ同位置。
廃止された日ノ岡駅と御陵駅(地上)のほぼ中間に現在の御陵駅(地下)がある。
東山三条~日ノ岡間の各駅は無人のため、これらの駅では乗車券を購入できず、乗車時に行先を駅員に伝え、車内で乗車券を購入するシステムとなっていた。
プラットホームを有していた九条山駅、それ以外の駅は電停であったが、いずれの駅にも券売機などの設備が設置されていないためである(京阪石山坂本線もほとんどの駅が無人だったか、決められた時間内しか駅員がいなかったため、ワンマン化までこのシステムを導入していた)。
上記区間では廃止直前時点で普通列車と準急が運行されており、普通列車は終着駅の四宮駅まで各駅に停車し、準急は京津三条~御陵間の各駅を通過し御陵駅から終着駅の浜大津駅までの各駅に停車する運行形態を採っていた(1997年10月11日までの運行形態の項も参照のこと)。
これは、準急に充当される車両が路面区間の駅での乗降に必要なステップを装備していなかったためでもある。
京都市営地下鉄東西線の京阪京津線の代替駅
※京都市営地下鉄東西線三条京阪~御陵間は京阪京津線の代替区間であり、この区間の鉄道施設は京都市・京阪電気鉄道・地元企業などが出資する第三セクター「京都高速鉄道」が建設・所有し、京都市交通局に貸与して経営を行わせている。
さようならイベント
80形ギャラリー電車の運行
京津線の京津三条~御陵間の廃止と、鉄道の日(10月14日)に関連して、80形85-86号車の編成の車内に京津線電車の写真パネルが展示されたほか、車両の正面には、特製の副標識が取り付けられた。
260形の回送
最終営業日に同線で使用された260形261-262号車が四宮駅からの発車となるため、その前日の1997年10月10日に錦織車庫から四宮車庫へ回送された。
最終営業日
260形261-262号車の“さよなら”装飾編成は、四宮駅7時24分発浜大津行普通列車から運用が開始された。
80形83-84号車の廃車回送が行われ、錦織車庫に9時30分頃到着した。
浜大津10時5分発とその1時間後にもう1本800系が翌日の営業に備えて直流600Vの架線の下を四宮まで回送され、上栄町・追分付近では、京津線での600・700形との新旧擦れ違いが見ることができた。
石山坂本線内における朝のラッシュ時の運用を終え、昼間時は錦織車庫に入庫していた350形は、夕方のラッシュ時から再び同線内での運用に就いたが、この際に350形353-352号車には「ご苦労様でした350形」と書かれた副標識が取り付けられた。
京津三条?時?分発の準急浜大津行を最後に700形電車の京津線内での営業運転を廃止。
20時以降、260形263-264号車と265-266号車が浜大津発四宮行準急として運転され、四宮車庫に入庫後、留置場所となる九条山へと回送された。
21時過ぎに260形267-280が京津三条~浜大津間の準急として1往復した後、浜大津発京阪山科行普通となり、京阪山科から九条山へと回送された。
21時以降、350形353-352号車と355-354号車が留置場所となる九条山へ回送列車として、京津線に入線。
260形261-262号車による京津三条22時14分発の浜大津行準急(ダイヤが大幅に乱れていたため実際はその数分後)を最後に、御陵府道東踏切付近での京都市営地下鉄東西線への線路切り替え工事のため京津三条~京阪山科間の営業運転が休止され、京阪山科~浜大津間で折り返し運転となった。
折り返し運転には260形261-262号車と600形607-608が使用された。
臨時ダイヤによる京津三条~京阪山科間の京阪バスによるバス代行輸送と京阪山科~浜大津間の臨時列車による折り返し運転が実施され、600形電車と260形261-262号車に「浜大津 京阪山科」の方向板を取り付けて運行。
京津三条22時06分発の普通四宮行を最後に80形電車の営業運転を廃止。
この列車は80形81-82号車で運転される予定だったが、ダイヤが大幅に乱れため、同形式の95-96号車が使用された。
このままでは廃車車両の留置場所が変わってしまうため、同形式81-82号車は四宮~浜大津間を回送として運転された。
なお、想定外の運転だったためか「回送」の行先板を付けずに運転された。
80形電車93-94号車が京津三条駅に回送運転され、京津三条~九条山付近(蹴上~日ノ岡間の専用軌道上)間の旅客営業を行わない事実上の最終列車となる。
10月12日 - 京阪山科0時10分発の普通浜大津行を最後に600形電車の京津線内での営業運転を廃止。
浜大津0時25分発の普通四宮行を最後に260形電車の京津線を含む大津線での営業運転を廃止。
260形261-262号車が九条山付近(蹴上~日ノ岡間)の専用軌道上に回送運転され、九条山付近(蹴上~日ノ岡間の専用軌道上)~御陵府道東踏切付近間の旅客営業を行わない事実上の最終列車となる。
踏切一覧
種別については踏切種類を参照。
その他
大谷~上栄町間にある逢坂山トンネルは、京阪の鉄軌道線では唯一の山岳トンネルとなっている(他に京阪鋼索線にトンネルが存在)。
集電装置をポールからパンタグラフに変更するにあたって路盤を下げる工事が必要となり、列車を運行しながら実施された。
大津線(京津線と石山坂本線)の各駅では京都市営地下鉄各駅への連絡運輸は普通乗車券・定期乗車券ともに実施しているが、京阪線(京阪電気鉄道の路線のうち、大津線を除く路線)への(通過)連絡運輸は定期乗車券しか実施していない。
大津線各駅の運賃表に掲示されている丸太町駅 (京都市営地下鉄)・四条駅 (京都市営地下鉄)・五条駅 (京都市営地下鉄)・六地蔵駅の各駅は京都市営地下鉄の駅であり、同名の京阪の駅ではない(なおこのうち六地蔵以外の3駅については、京阪の駅の方が京阪中之島線開業時に改称される予定)。
運賃表にもその旨の注記がある。
なお、京阪宇治線の乗り換え駅である地下鉄六地蔵駅でも大津線への連絡乗車券は購入可能である。
連絡乗車券での東西線東野駅 (京都府)以遠と大津線との乗り換えは、山科(京阪山科)ではなく、御陵に限定されている。
そのため、連絡普通乗車券では山科(京阪山科)の改札を出ることができない。
また、大津線各駅から御陵乗り換え山科への連絡普通乗車券は発売されておらず、運賃表にも山科の運賃は掲示されていない(運賃自体は乗り越し客などのために設定されている)。
過去には「びわこ号」や200系・260系などを使用した臨時列車京阪特急も運転されていたこともあった。
京津線内はノンストップであった。