湖西線 (Kosei Line)

湖西線(こせいせん)は、京都府京都市山科区の山科駅から滋賀県伊香郡西浅井町の近江塩津駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。
全線が大都市近郊区間に含まれる。
日本海縦貫線の一部である。

琵琶湖の西岸、湖西地区を通るため、湖西線と命名された。
起点は山科駅だが、京都駅まで全ての普通列車が直通しているほか、大阪発着の北陸・東北へ向かう特急列車や北陸・北海道方面と関西・九州方面を結ぶ貨物列車が全線を通り抜ける。
永原まではアーバンネットワークに含まれ、大阪・姫路方面から新快速の乗り入れもあり、京都・大阪方面への通勤・通学路線ともなっている。

全線でICOCA及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica、東海旅客鉄道(JR東海)のTOICA、またスルッとKANSAIのPiTaPaが使用できる。
また、山科~近江舞子間の各駅のみJスルーが利用できる(北小松~近江塩津間での利用はできない)。

路線データ

管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(鉄道事業者)・日本貨物鉄道(鉄道事業者)

路線距離(営業キロ):74.1km

軌間:1067mm

駅数:21駅(起終点駅含む)

複線区間:全線

電化区間:全線(直流電化1500V)

閉塞 (鉄道):複線自動閉塞式

運転指令所:新大阪総合指令所

最高速度:130km/h

2006年9月24日から北陸本線長浜~敦賀間とともに、交流電化であった湖西線永原~近江塩津間も直流化され、10月21日から一部の新快速が北陸本線敦賀駅まで直通運転している(後述)。

なお、全区間とも西日本旅客鉄道京都支社の管轄である。

概要

関西と北陸の短絡という目的から高速走行を狙う路線とされたため、ほとんどの区間がトンネルや高架橋となっており、湖西線内に踏切は全くない。
園城寺や白鬚神社などでは境内通過(トンネルだが)を巡って補償騒動が起きたほか、地元からの反対、江若鉄道(後述)との関係で路線決定に難航した部分もあるが、最小曲線半径は1,400mを基本とし、線形 (路線)勾配も19パーミル以下と在来線としては高規格で建設されている。

計画時は東海道本線の線路容量が限界になるであろうとの予測により、山科から片町線長尾駅 (大阪府)に抜ける新線を作り、貨物列車を新設の長尾操車場に、特急列車を片町線からJR東西線経由で大阪に入れる構想であった。
そのため、山科駅は西側も分岐できる構造になっている(西側の新線は国鉄の財政事情悪化により計画中止されている)。

現在は特別急行列車「雷鳥 (列車)」などが、ほぼ全線で最高速度130km/hで駆け抜ける。
また、ブレーキ性能上120km/hを最高速度とする国鉄485系電車で運転される「雷鳥 (列車)」は、踏切のない湖西線内では最高速度130km/h運転が特別に認められている。
「サンダーバード」で京都~敦賀間無停車の場合の所要時間は、下りが51分、上りが53分程度である。

高速運転に最適な路線であるため、日本国有鉄道時代から、湖西線を利用して国鉄381系電車・JR西日本221系電車・JR四国8000系電車などが速度向上試験に取り組んだ。

JR西日本発足後、湖西線内と北陸トンネル内にて最高速度を160km/hに引き上げることが検討され、その一環としてJR西日本681系電車が製造されたが、日本の鉄道信号機改良(北越急行ほくほく線のように6灯式信号機の設置)等のコストが嵩むこと、一方足の遅い普通列車や電気機関車が牽引する貨物列車や客車列車が存在することなどにより、結果として5~10分程度の短縮にしかならず、費用対効果が薄いと判断されて見送られるに至った。

ちなみに「新幹線並み」と称されることもあるが、新幹線としては比較的低規格の東海道新幹線でも最小曲線半径は2,500mが基本となっているため、実際に新幹線並みのスピードで列車を走らせることは不可能である。

湖西地域は北陸から続く多雪地帯のため、スプリンクラーや雪落とし溝を設けるなどの設備を持っている。
近江今津には電留線設備があるが、留置時パンタグラフの位置には屋根を設け、降雪から車両を保護している。

一方で、比良おろしと呼ばれる山からの強風により過去に貨物列車が停車中に倒された例があるなど、速度規制や運転見合わせになることも多く、「サンダーバード」など湖西線を通過する特急が米原経由で迂回運転されることもある。
現在防風柵の設置が進められている(詳細後述)。

また、関西方面と北陸方面を経由する貨物列車も多数運行されている。
開業前には堅田と近江今津で貨物営業を行う計画もあったが、結局実現しなかった。
そのため、湖西線内の貨物列車はすべて山科から近江塩津まで無停車で通り抜けている(ダイヤ上特急等を待避する停車はある)。
貨物側線用地は保守用基地等に現在利用されている。

大津京・おごと温泉・堅田・近江舞子・安曇川・近江今津・永原に待避駅を持ち、マキノに場内・出発信号機を持つほかは停留所扱いである。
高架構造でスラブ軌道を多用したため、保線も大型機械を導入した。
その大型機械を使う保守間合いを確保するため、深夜に通過する貨物列車を単線で使用をするための設備(単線並列)を設けた。
おごと温泉を除く待避可能駅とマキノには分岐器形状による分類を、上下線との両方向で使用できる信号設備(複線利用では閉塞区間があるが、単線で使用時は1閉塞扱い)を配置した。
が、その後貨物列車の減少などもあり、設備を維持する必要性が薄れたため、2004年に単線用信号設備の使用を停止した。

この単線運転を考慮した構造のため、堅田・近江舞子・近江今津・永原の各駅は待避線が内側に入る構造で、シーサス配置と相まって結果的に電車の折り返し運転に便利な配線になっている。

北陸新幹線の敦賀駅以南(以西)の計画案の一つとして湖西線を改軌しミニ新幹線で運行しようという構想もある。

沿線風景

山科を出ると、東海道本線と分岐し、長等山トンネルに入る。
このトンネルは西大津方が複線断面であるが、山科方は単線3つの変形トンネルである。
山科まで内側線を走る普通電車は18‰の勾配で東海道本線を乗り越すが、特急列車や貨物列車など外側線運転の列車は10‰の緩勾配用に設けられた分岐線を通っていき、トンネル内で合流している。
長等山トンネルを出ると大津京駅。
京阪電車の皇子山駅へ乗換ができる。

大津京から北は活断層(琵琶湖西岸断層帯)が活動した結果できた細長い平地に沿って走る。
そのため、西に比叡・比良の山脈を見上げ、東はほぼ全線に渡って琵琶湖の湖面を眺めることができるため、風光明媚な路線として知られる。
線路の周囲は静かな田園地帯ではあるが、堅田までは周辺に住宅や量販店も多い。
途中おごと温泉駅付近は江若鉄道の旧線路と大きく離れ、山側をほぼ直線で抜けていく。
そのため、おごと温泉駅の前後に5つの比較的短いトンネル(第三雄琴トンネル)がある。

堅田から先は湖岸に沿って線路が走り、天気がよい日には対岸の山々も見える。
北小松を過ぎると比較的短い2つのトンネル(第一北小松・第二北小松トンネル)があり、その先に路線決定で難航した白鬚神社の北側を短い2つのトンネル(第一白鬚・第二白鬚トンネル)、そして高島トンネル(長さ1,488m)の合計5つのトンネルを抜けていく。

近江高島から先は湖岸から離れ、平地の中を走る。
近江今津駅は留置線を持つ湖西線の拠点駅である。
ここで京都からの普通電車の大半が折り返すほか、敦賀発着の新快速の増解結作業が行われている。

さらに水田地帯の中を走って行くが、マキノを過ぎると山々が近づき、峰山トンネル(長さ3,910m)を通過、さらに永原を過ぎた先で城山トンネル(長さ2,318m)を抜けていく。
2006年9月までこの城山トンネルを抜けた北側に交直デッドセクションがあった。
永原で折り返す普通列車は現在もまだ残っている。

その後約20mの高さの高架橋で水田地帯を越え、進行方向右手から北陸本線が寄り添い、近江塩津となる。

運行形態

関西~北陸の短絡線という目的に即して、北陸へ向かう優等列車は現在、夜行列車の急行「きたぐに (列車)」を除く特急「雷鳥 (列車)」・「雷鳥 (列車)」・「日本海 (列車)」・「トワイライトエクスプレス」のすべてが湖西線を経由している。
一部の特急列車は堅田と近江今津に停まり、湖西と京阪神間の速達サービスや通勤利用に対応している。
また、かつて東海道線時代に北陸線への優等列車が大津に停車していたことから、大津京に停まる特急もある。

一方、湖西地区のローカル輸送を担う一面も持ち、線内の新快速・普通電車も多数運転されている。
山科が路線としての起点であるが、同駅の線路設備や乗客流動により京都駅まですべての列車が直通し、さらに快速列車・新快速列車など一部は大阪・姫路方面と直通している。

開業当初、普通列車が京都~近江今津または永原間で1時間あたり1本というわずかな運転本数であったが、その後沿線の住宅増加に伴い、普通電車の本数は徐々に増加している。
ただ、乗客増加が堅田、小野付近までに偏っているため、多くの普通列車は堅田または近江舞子で折り返す。
朝には京都を越え大阪方面へ直通する普通列車も設定され、4扉ロングシートの通勤形電車も運用される。

また、開業時から新快速が堅田まで日中時間1本京阪神から直通し、のちに近江今津まで延長された。
新快速の設定のある昼間帯が夕方ラッシュ帯より本数が多いという珍しい設定で、現在でも日中が新快速を含めて毎時5本、新快速のない夕方ラッシュ時は毎時4本運転である。
また京都駅発ベースで下り列車が朝7時台には2本しかなく、その点でも偏りがある。

新快速の運転は日中のみ、しかも近江舞子以北は各駅停車扱いである。
そのため通勤客対象に1996年3月16日からは朝通勤時の近江今津発大阪行き、1997年3月8日からは夕方帰宅時の京都発永原行きの上下1本ずつ快速が設定され(前者は新旭・近江高島・北小松通過、後者は近江舞子以北各駅に停車、2002年3月23日から快速は両者ともおごと温泉駅に停車するようになった)、のちの敦賀まで運転区間が延長されている。

一方、近江今津から近江塩津までは途中交流電化に変わること、もとよりローカルの交流があまりなかったことなどからこの区間の普通列車は当初1日3本と極めて少ない本数であった。
JRになってから徐々に本数は増え、電車化後は敦賀を越え福井方面へ直通する列車や、近江塩津から長浜・米原へ北陸線を南下する列車も設定された。

敦賀までの直流区間延伸により、2006年10月21日のダイヤ改正から日中の新快速は敦賀まで延長された。
朝晩は近江今津~近江塩津間の区間運転が主であるが、一部は福井や米原に直通するほか、朝の湖西線からの大阪方面直通と夜の大阪発湖西線快速が敦賀発着に延長されている。
これらの列車設定により、永原~近江塩津間も日中はほぼ1時間1本運転となり、2008年3月15日のダイヤ改正で同区間で6時台と19時台にもう1往復ずつ増発されている。

日中の近江今津・敦賀行き新快速は大津京で停車 (鉄道)緩急接続し普通列車に乗り換えができる。
また、京都大阪方面への新快速は堅田で普通列車との緩急接続を取っている。
ただし、湖西線内の新快速の本数が少ないため、緩急接続している普通列車はわずかである。

開業当初から琵琶湖や比良山系へのレジャー客輸送に臨時列車が設定されている。
初期の頃は堅田までの定期新快速を近江今津まで延長するものや、網干大阪間の快速を湖西線に延長するものであった。
臨時列車では夏冬に運用がない修学旅行用車(155系)を利用したものもあり、宮原区の車はこの時に耐寒耐雪工事を受けている。

その後定期列車の増発が進み臨時列車の設定は減っていったが、志賀に臨時停車する新快速を「湖西レジャー号」と呼んで区別するなどの処置は続いている。
また、新快速の敦賀延長にともない定期運用で4連化された列車の多客時救済列車が2006年秋以降定番化しており、特にマキノ駅を最寄りとする海津大崎の花見客輸送では敦賀行きを分割する編成が本編成に先行して救済臨として運転されている。
また観光シーズンには琵琶湖一周列車が団体貸切の形で多数運転されている。

京都駅での東海道線との接続

開業時は発着ホームを東海道線に間借りしていたが、京都駅構内の改良工事により、湖西線列車の発車はほぼ3番ホームと固定され、多くの列車は3番線着発の折り返し運転となり現在まで続いている。
京都着の一部列車の中には5~7番線ホームに到着後、向日町運転所(現在の京都総合運転所)へ回送されるものもある。

この運転形態のため、大阪方面から湖西線へは京都でホーム対面、湖西線から大阪方面へは山科でホーム対面での乗り換えが可能で、利便性は高い。

なお、2002年3月改正では、湖西線列車が大阪方面からの新快速と接続するダイヤとなったが、新快速の軽微な遅れによる湖西線への影響が大きかったため、2006年3月のダイヤ改正(いわゆるゆとりダイヤ導入)以降、夜の一部列車を除き新快速の到着前に湖西線が発車するようになった。

JR京都線内で遅延が発生した際には京都駅3番線に到着しようとする湖西線列車が京都線上り列車の乱れを受けて延着することがしばしばある。

新快速の分割併合

2006年10月の新快速敦賀延長では、近江塩津・新疋田各駅のホームかさ上げと敦賀駅中線(4番ホーム)の有効長を4両分のみとしたため、近江今津駅(一部の列車は京都駅で)で列車の分割併合を行うことになった。
そのため近江今津駅3番線(2番ホーム)に誘導信号機が新設された。
その作業のため10分前後の停車時間があり、その間に特急雷鳥 (列車)待避となる列車がある。
同様の例は姫路駅での分割中に「はくと (列車)」が先発する例があるのみで、新快速が特急待避となることはまれである(琵琶湖線内で特急が新快速を追い抜く例はあるが、複々線区間内のため、通過待ち合わせは行わない)。
この分割併合に要する停車などのため、新快速の大阪~敦賀間所要時間は当初想定の1時間50分から10分程度延びている(とくに京都~近江中庄・マキノ・永原間の所要時間は、京都~永原間運転の普通と比較してもほとんど大差がない)。

なお同様に米原経由で近江塩津・敦賀に向かう新快速も米原駅で分割併合を行うため10分前後の停車時間がある。

新快速の表示と時刻表表記

新快速は近江舞子駅・彦根駅以北の各駅停車区間でも「新快速」の表示を出し、駅時刻表も新快速と表記されている。
京阪神の快速が明石以西・高槻(一部時間帯では京都)以東で「普通」となるのに対して、新快速は(姫路以西も含めて)各駅停車でも新快速である。
これは新快速が一種のブランド化している現象で、地元自治体にとっては実体が各駅停車であっても「新快速が直通する」ことが重要なのである。

直流化工事

湖西線建設当時、山科駅は直流電化されており、近江塩津駅は交流電化されていた。
そのため永原~近江塩津の駅間に交直セクションが設けられた。
これにより、湖西線を北陸方面に直通する電気車両は車上で交流と直流の切り替えのできるもの、つまり国鉄485系電車などの交直流電車と交直流両用の国鉄EF81形電気機関車電気機関車に限られた。
需要の見込めない湖西~北陸のローカル列車には高価な一般用交直流電車は投入されず、近江今津~敦賀間の普通列車は電化区間でありながら1991年9月まで気動車で細々と運転されていた(それ以降は交直流電車で運転された)。
他方、山科~永原は直流電化で建設され、京都方面から直流電車が入っていた。

一方、北陸線も交流電化のためローカル列車の本数も少なく、湖北と大津や京阪神間の移動には米原での乗り換えが必要であった。
滋賀県や地元自治体は国鉄時代の1986年に沿線市町・商工会で「北陸本線直流化促進期成同盟会」を設立し、北陸線の利便性向上には電化方式の変更が必要と国鉄・JRへの要望活動を進め、さらに1990年5月には、湖西の市町も加わり「琵琶湖環状線促進期成同盟会」を新たに発足させ、JRへの働きかけを進めた。

その結果、翌年米原~長浜間の直流化工事が行われた。
もともと実際の交直セクションは坂田~田村間であったので、これを長浜~虎姫間に移設したものである。
工事費約7億円は県や長浜市など地元自治体の負担でまかなった。

工事完成による1991年9月のダイヤ改正以降、京阪神からの新快速が長浜まで直通し、観光客の増加と人口増加という経済効果をもたらした。
新快速の乗り入れで長浜が京阪神の通勤圏となった一方、黒壁スクエアなど地元の観光資源活性化などが反響を呼んだ結果多くの観光客が長浜へと足を運ぶようになり、街づくりの起爆剤としての直流化工事は全国の注目を浴びた。

その成功を見て、湖北の各自治体も動き出した。
同様に交流電化で列車本数が少なく、米原以西への直通がなかった湖北地区に「新快速の直通を」という機運が高まり、湖西と湖北地区の相互交流も、この交直セクションのために直通電車が少なく不便であったので、これらを解消するためにも直流化工事は地元の重要課題であった。
1995年からは基金として毎年工事費用を各自治体が積み立てることを始め、「琵琶湖環状線構想」を前進するよう駅周辺整備や観光施設の案内整備に努めた。

一方、長浜の成功事例を参考に、敦賀市も新快速の直通による観光客の増加を目論見、福井県とともに京阪神からの直通電車を増発するためには直流化が必要、と働きかけた。

そこで鉄道整備の一環として、以下の狙いが定められた。
新快速を湖北に直通させる
湖西湖北の列車利用による移動をより便利にする
敦賀へ京阪神から直通の新快速を走らせる
以上の狙いで、湖西線と北陸線の直流化工事が行われた。
工事は地元の請願という形で、滋賀県側(県と地元自治体)と福井県側(県と敦賀市)がほぼ折半の形で工事費の負担をしている。
(工事費は161億円で、うち滋賀県側が75億円・福井県側が68億円の設備費用分を負担し、JR西日本が車両新製費として18億円を負担している。)

直流化工事は長浜~虎姫間、永原~近江塩津間にあったデッドセクションを敦賀~南今庄間(敦賀駅~北陸トンネル敦賀口間)に移設し、北陸線長浜~敦賀間、湖西線永原~近江塩津間を直流き電とするもので、2006年9月24日に完成した。

同年10月21日のダイヤ改正で、敦賀までJR西日本223系電車直流電車による新快速が運転され、また湖西線と北陸線長浜方面との接続改善も図られた。
昼間帯を中心に1日25本(湖西線経由17本、琵琶湖線(北陸本線)経由8本)が近江今津・長浜から延長される形で敦賀まで、1日18本が近江塩津(琵琶湖線・北陸本線経由)まで乗り入れるようになった。
近江塩津では、日中に湖西線経由の敦賀行きから近江塩津始発の米原経由姫路方面行きに、また米原経由の近江塩津止めから敦賀発湖西線姫路方面行きに対面乗り換えができるようになり、湖北・湖西間の接続改善がなされた。
近江塩津で湖西線経由敦賀行きの新快速と接続する米原経由の同駅止まり新快速が一日に1例だけあるが、この近江塩津止まりの電車はホームで客扱いのまま近江今津行きとなるものである。

なお、北陸線に乗り入れする新快速の標準的な運転時分は、湖西線経由で敦賀~京都間で約95分、大阪間で約125分、三ノ宮で約145分、姫路で約185~190分である。
また米原経由は更に15分ほど所要時間が延びる。
もともと湖西~敦賀のローカル流動はほとんどなく、湖北~敦賀の流動はそれなりにあるため、敦賀発着の新快速は昼間は湖西線経由での運転に、それ以外は米原経由になっている。
そのため朝夕時間帯には米原経由のほうが早くなる場合もある。
そのために敦賀市はJR西日本に増発と定期券乗車の特例(下記)を求めているが、実現に関しては不透明である。

山科~近江塩津間をまたぐ場合、普通乗車券では湖西線経由の営業キロによる運賃で米原経由にも乗車できる経路特定区間の特例があるが、定期券の場合は経路特定区間が適用されず運賃が米原経由より割安な湖西線経由の定期券では米原経由で利用できない。
現在のダイヤでは朝夕に敦賀を発着する新快速では湖西線経由の列車が1往復のみの設定にとどまっているため、定期券においても選択乗車特例を認めるよう要望しているもの。

防風柵設置工事

上記の通り強風による速度規制や運転抑止の回数が増える傾向にあり、2006年度では運転見合わせは計28日実施されたという。
これを受けて、2007年10月、JR西日本は、比良・近江舞子駅間の沿線山側(西側)に防風柵を設置し、それによって従来秒速25mで運転規制を行うようにしていたのを30mまで引き上げると発表した。
これによって年間の運転見合わせ時間を、現在の半分以下にすることが出来る、としている。
工事は2008年4月上旬に着工された(費用はJRの全額負担)。
大鉄工業によって工事が行なわれる。

使用車両

特急列車
JR西日本681系電車・JR西日本683系電車(特別急行列車「雷鳥 (列車)」)
国鉄485系電車(エル特急「雷鳥 (列車)」)
国鉄24系客車(寝台列車「トワイライトエクスプレス」・「日本海 (列車)」)

普通列車
全区間
JR西日本223系電車
湖西線内の快速・新快速電車で8または12連で全列車に使われているほか、一部の線内普通電車でも4~8両編成で運用されている。

山科~永原間
国鉄113系電車
湖西線開業時に半自動扉などの寒地対策車をした113系700番台が登場し、以来現在まで湖西線電車の主力であり、草津線電化用に登場した2700番台を交えて4~8両編成で運用されている。
かつては6両貫通編成が在籍していた時期もあったが、現在その運用は行われていない。

国鉄117系電車
半自動扉などの寒地対策は当初から湖西線での運用を考慮したものである。
原型車と座席改造車が混同している編成が多く6または8両編成で運用されている。

JR西日本207系電車
早朝に堅田発が、平日夜間帯に近江舞子行きが運転されている。
207系の量産編成は投入当初から近江今津で滞泊する運用もあったが2006年3月18日改正より撤退した。
なお、試作編成であるF1編成は、後述の321系と共通運用されている。

JR西日本321系電車
平日午前に堅田まで1往復乗り入れる。
2006年3月18日改正から夜間の近江舞子行きに運用されていたが、2008年3月15日改正にて短期間で207系に置き換えられた。

JR西日本221系電車
網干区車両が221系登場と同時に新快速での湖西線運用が、その後線内運用の一部にも使われていたが2006年10月改正で一旦撤退した。
2008年3月15日より新たに京都総合運転所所属車両により湖西線での運用が復活している。

近江今津~近江塩津間
JR西日本521系電車
北陸本線・湖西線の直流化の際、投入された車両であり、すべて2連で運用されている。
永原以北の普通列車は、223系とこの車両のみになる。

207系電車投入前は国鉄201系電車や国鉄205系電車も湖西線に入線していたが、207系投入後順次置き換えられ、現在は定期運用はない。

また、特異な姿から食パン電車とも呼ばれる国鉄419系・715系電車や、急行から転用の国鉄457系電車が近江今津以北で1991年以降使用されていたが、敦賀直流化の改正以降湖西線に定期運用で姿を現すことはなくなった。

歴史

大阪と北陸方面を結ぶ短絡線として建設された。
元々浜大津~近江今津間に地元資本による江若鉄道が開業しており、路線計画時にほぼ並行する形のこの江若鉄道の扱いが問題となった。
最終的に江若鉄道は廃止し、その路盤を買い上げて転用することで決着した。
が、競合路線の買い上げ救済が真の目的であって実際の転用率は低く、車窓から廃線跡が確認できる区間も多い。
江若鉄道は1969年(昭和44年)10月に鉄道事業を廃止後、江若交通に社名変更している。

1922年(大正11年)4月11日 - 浜大津~三宅(現・小浜線上中)間、国鉄予定線に編入。

1962年(昭和37年)5月31日 - 浜大津~塩津間、国鉄調査線となる。

1964年(昭和39年)6月25日 - 山科~沓掛間、国鉄工事線に昇格。

1966年(昭和41年)12月28日 - 山科~(仮称)北大津(現・大津京)間、近江今津~近江塩津間第一次認可。

1967年(昭和42年)1月12日 - 皇子山総合運動公園で湖西線起工式を開催。

1969年(昭和44年)11月1日 - 江若鉄道線廃止。

1974年(昭和49年)7月20日 - 山科~近江塩津間 (74.1km) が開業。
同時に国鉄113系電車運行開始。
新快速が山科から近江今津まで乗り入れ開始。

1975年(昭和50年)3月10日 - 大阪~北陸・東北間の特急と急行「雷鳥 (列車)」が湖西線経由となる。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる。

1988年(昭和63年)12月4日 - 小野駅開業。

1993年(平成5年)3月18日 - JR西日本207系電車投入。

1994年(平成6年)9月4日 - 叡山駅を比叡山坂本駅に改称。

2006年(平成18年)9月24日 - 永原~近江塩津間を交流電化から直流電化に変更。

2006年(平成18年)10月21日 - 新快速が敦賀まで延長され湖西線全区間運転となる。

2008年(平成20年)3月15日 - 西大津駅を大津京駅に、雄琴駅をおごと温泉駅に改称。

駅一覧

中間駅のうち、直営駅は大津京駅・堅田駅・近江今津駅の3駅だけ。
ほかに近江中庄駅が終日無人駅(2000年4月頃までは永原駅も)である以外はすべて、ジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅である。

[English Translation]