片町線 (Katamachi Line)
片町線(かたまちせん)は、京都府木津川市の木津駅 (京都府)から大阪府大阪市の京橋駅 (大阪府)に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。
愛称は学研都市線(がっけんとしせん)。
このほか、通称おおさか東線城東貨物線と呼ばれる鴫野 - 吹田間及び正覚寺信号場 - 平野間の貨物支線を持つ。
全線が大都市近郊区間、長尾駅 (大阪府) - 京橋間が電車特定区間に含まれる。
ラインカラーは黄緑()。
選定理由は「これからの若いエネルギーをイメージ」とされている。
路線データ
路線距離(営業キロ):
西日本旅客鉄道(鉄道事業者):
木津 - 京橋間 44.8km
鴫野 - 吹田間 9.1km
正覚寺信号場 - 平野間 1.5km
日本貨物鉄道(鉄道事業者):
徳庵 - 鴫野間 (3.4km)
鴫野 - 吹田間 (9.1km)
正覚寺信号場 - 平野間 (1.5km)
軌間:1067mm
駅数:24駅(起終点駅含む、貨物支線除く)
複線区間:松井山手 - 京橋間
電化区間:正覚寺信号場 - 平野間を除く全線(直流1500V)
閉塞 (鉄道)
木津 - JR三山木:自動閉塞式(特殊)
JR三山木 - 松井山手:単線自動閉塞式
松井山手 - 京橋:複線自動閉塞式
保安装置:木津 - 京田辺間自動列車停止装置、京田辺 - 京橋間自動列車停止装置(拠点P)およびATS-SW
(2011年度中に全線がATS-Pに統一される予定)
最高速度:110km/h
運転指令所:新大阪総合指令所
保線区:木津 - 星田間(大和路線保線区)、星田 - 京橋間(天王寺保線区)
※全区間とも西日本旅客鉄道大阪支社の直轄である。
概要
生駒山地の北端を廻り、大阪府北東部の都市や京都府南部に広がる住宅地と大阪・阪神方面との通勤・通学路線となっている。
また愛称の通り関西文化学術研究都市田辺地区のアクセス路線でもある。
JR西日本管内の旅客案内などでは「学研都市線」の愛称で呼ばれる。
この愛称は1988年3月13日に制定された。
元は路線名の由来であった片町駅が終点だったが、同駅がJR東西線開業と同時に同線の大阪城北詰駅に置き換わる形で廃止されたため、京橋駅が終点となった。
片町駅が廃止された後も正式な路線名は変更されていない。
四条畷駅以西は浪速鉄道の建設による。
関西の日本国有鉄道(現JR)線で初の電化区間であり、関西国電発祥路線とも言える。
また国鉄線では武蔵野線に次いで、西日本の国鉄線では初めて自動改札機を採用した路線でもある。
すべての駅で乗車カードとしてICOCAおよびこれと相互利用可能なICカード(ICOCAを参照)が、またJスルーが一部の駅を除いて自動券売機で乗車券に引き換えることにより利用することができる。
鴫野 - 吹田間および正覚寺信号場 - 平野間の城東貨物線は、日本貨物鉄道(JR貨物)が同線を経由する貨物列車を運行しているが、現在、第三セクター会社の大阪外環状鉄道によっておおさか東線として旅客線化する工事が進められている。
2008年3月15日には城東貨物線の一部であった南側の放出 - 久宝寺駅間が先行開業した。
当初2006年度に新大阪駅 - 久宝寺間の開業を予定していたが、用地買収の難航や新大阪駅付近にある開かずの踏切で地元との調整が難航していたことなどから遅れていたが、梅田貨物線に乗り入れることで解消し2018年度までに開業する予定である。
なお、おおさか東線が部分開業した2008年3月15日から同線および関西本線(大和路線)との直通列車として朝夕におおさか東線運行形態が運転されている(当記事の直通快速も参照)。
おおさか東線経由の直通列車は奈良 - 関西本線(大和路線)・当線・JR東西線 - 東海道本線・山陽本線(JR神戸線) - 西明石駅または福知山線新三田駅との間で運転が検討されていたが、JR福知山線脱線事故発生後、ゆとりのないダイヤグラムに批判が相次いだことから、乗り入れするかどうかを含めて再検討がなされていた。
運行形態
JR東西線を経由して福知山線(JR宝塚線)宝塚駅・新三田・篠山口駅方面、および東海道・山陽本線(JR神戸線)神戸駅 (兵庫県)・西明石方面と直通運転が行われている。
普通列車や快速列車のほか、早朝と夕方のラッシュ時、深夜には列車種別区間種別が運転されている。
なおJR東西線と運用が一括となるため、同線についても併せて記述する。
快速
昼間は15分間隔で運転。
平日の朝ラッシュと深夜は20分間隔で運転される。
また、平日の朝ラッシュは京橋方面の四条畷駅以西は区間快速とあわせて6分 - 13分間隔で運転され、深夜の木津発快速京橋行き1本を除き全列車が福知山線(JR宝塚線)宝塚・篠山口方面に直通する。
大半が同志社前駅または木津までの運転であり、木津駅までは30分おきに運行される。
早朝・深夜には木津から関西本線(大和路線)に乗り入れ奈良駅発着となる列車が3本ある。
JR東西線内(尼崎 - 京橋)は各駅に停車する。
また、奈良駅発着の快速は、奈良線の快速とは異なり平城山駅に停車する。
京田辺発着の快速を除いて、すべて京田辺駅で車両の増結・切り離しが行われ、奈良・木津 - 京田辺間は4両編成、京田辺 - 京橋方面では7両編成で運転される。
JR西日本207系電車の量産車が4+3両編成に分かれているのは、このような運用を考慮したものである。
また昼間は両方向とも四条畷で普通列車と緩急接続を行う(2009年3月14日改正現在)。
快速列車は本格運転を始めた1989年3月から最初の1年間は全区間3両編成で運転されていたが、混雑が非常に激しいことから1990年3月から全区間4両編成に変更された。
1997年3月にJR東西線が開通するまでは、朝の同志社大学への通学用に片町発同志社前行き(7両編成で運転し、松井山手駅で後3両を解放)が2本運転されていたのを除き、朝ラッシュ時には快速列車は運転されず、夕方以降も4両編成で運転されていた。
なお、2010年3月(2009年度末)をめどに木津駅から同志社前駅の各駅のホームを延伸し、奈良・木津 - 京田辺間でも7両編成で運転を行う予定であることが発表されている。
直通快速
おおさか東線が部分開業した2008年3月15日から奈良 - 尼崎駅 (JR西日本)間に関西本線(大和路線)・おおさか東線経由で運転している列車。
片町線(学研都市線)の放出駅 - 京橋間を経由し、JR東西線内は各駅に停車する。
運行本数は朝に奈良発尼崎行き4本、夕方に尼崎発奈良行4本。
車両はJR西日本223系電車6000番台(宮原車)4両編成を2本連結した8両編成が使用される。
区間快速
早朝・深夜と平日ラッシュ時に運転される。
京橋 - 四条畷間が快速区間となり、四条畷以東は各駅に停車する。
早朝は基本的に奈良・木津始発だが、それ以外は同志社前・京田辺・松井山手発着となる。
種別幕は桜桃色の帯の種別幕(JR東西線のラインカラー)の区間快速幕がないため、緑の帯の種別幕(大和路線のラインカラー)が使われる。
なおJR宝塚線・JR神戸線には区間快速が設定されていない関係から上りは尼崎で、下りは京橋で列車番号と種別が変わる。
快速・直通快速と同じくJR東西線内は各駅に停車する。
普通
終日にわたって東海道・山陽本線(JR神戸線)三ノ宮・西明石方面と直通運転される。
またラッシュ時には加古川駅始発の直通列車やJR宝塚線との直通列車、京橋での折り返し列車が存在する。
JR東西線直通列車は桜桃色の帯の種別幕(JR東西線のラインカラー)、学研都市線内折り返し列車は黄緑色の帯の種別幕(学研都市線のラインカラー)が使われる。
基本的には松井山手 - 西明石間の運転だが、ラッシュ時には四条畷・放出までの区間運転が存在する。
また早朝の上りに限り木津まで運転される列車も存在する。
この列車も京田辺駅で後3両切り離しを行う。
1989年に木津 - 長尾間が電化されるまでは長尾駅で運転系統が分かれ、木津 - 長尾間には気動車が運行されていた(歴史も参照)。
使用車両
下記の両数は2008年3月現在。
JR西日本207系電車
すべて網干総合車両所明石品質管理センター所属で、F1編成(量産先行車)を除く全470両がJR神戸・宝塚・JR京都線・東西・学研都市・琵琶湖線で共通運用される。
3両編成66本198両と4両編成68本272両が学研都市線で運用される。
3両編成は京田辺以東への運用はない。
4両編成は木津から大和路線に乗り入れて奈良までの運用がある。
学研都市線では1991年4月30日から営業運転を開始した。
最初に投入されたのはF1編成と呼ばれる量産先行車7両固定編成で、量産車は同年12月から投入された。
F1編成は2002年3月23日のダイヤ改正時にJR東西・学研都市線運用からは撤退したが、その後2005年4月25日のJR福知山線脱線事故が起きた際に一時的に復帰、翌2006年3月18日のダイヤ改正時に再撤退、下記の321系と共通運用になっている関係で2008年3月15日改正で再び入線するようになるなど、当線への入線と撤退を繰り返している。
JR西日本321系電車
2008年3月14日より片町線でも運用開始。
通常は京橋 - 松井山手間の普通列車のみだが、突発的に快速・区間快速に充当され、京田辺まで入線する事がある。
JR西日本223系電車6000番台 (宮原車)
宮原総合運転所所属。
おおさか東線開業に際して運行される直通快速のため京橋 - 放出間でのみ使われる。
アーバンネットワーク内の路線では珍しく、全区間の列車が2008年3月14日までロングシート車で占められていた(JR東西線も同様)。
放出 - 木津間では3月15日以降もロングシート車のみが運用される。
歴史
片町 - 四条畷間は、浪速鉄道が生駒山地北部の飯盛山西麓にある慈眼寺 (大東市)・四條畷神社への参詣鉄道として1895年に開業させたもの。
四条畷 - 新木津・木津間は、その頃、大阪進出を計画していた関西鉄道が1897年に浪速鉄道とともに合併した城河鉄道から四条畷 - 長尾 - 木津間の鉄道敷設免許を譲り受け、翌1898年に開通させたものである。
関西鉄道は網島 - 四条畷 - 新木津間を名阪間を結ぶ本線とし、網島 - 名古屋間に四条畷経由で直通列車を運転するが、1900年に大阪鉄道を合併して名阪間の本線を王寺経由に変更、さらに加茂 - 奈良間を大仏経由から木津経由に変更した1907年より後は、木津 - 桜ノ宮・片町間を結ぶだけのローカル線となった。
放出 - 桜ノ宮間は1913年に廃止されている。
1932年、四条畷 - 片町間が関西の国電区間では初めて電化され(1929年に開通した阪和線は当時阪和電気鉄道という私鉄)、木津 - 四条畷間は国鉄C11形蒸気機関車が牽引する蒸気機関車、四条畷 - 片町間は電車になった。
C11形投入後は蒸気機関車が廃止されるまで、同機が専ら列車牽引に用いられた。
戦前の当路線の特色として、大日本帝国陸軍大阪砲兵工廠(現在の大阪ビジネスパークの地にあった)と沿線に設置された工廠や火薬庫を結ぶ軍需輸送がある。
これらの施設までは陸軍の専用線が敷設されていた(星田駅 - 香里製造所・津田駅 - 中宮(禁野火薬庫)・現在の下狛駅付近 - 祝園弾薬庫の3線)。
戦後、施設の廃止により香里と中宮に至る専用線は道路化されたが、戦後に米軍および自衛隊の施設に転用された祝園の専用線はその後も使われ、現在もその跡をわずかに留めている。
なお、香里製造所は1958年から香里団地に流用され、専用跡は枚方市道・交野市道に流用された。
中宮の禁野火薬庫は小松製作所大阪工場に流用され、1967年10月からはこの頃に一般国道昇格が決定された主要地方道水口枚方線(1970年4月1日に国道307号へ昇格)バイパスに流用されている。
戦後の1949年には、四条畷 - 片町間22分間隔、所要34分のところを20分間隔、所要昼間22分、朝夕24 - 26分に増発・スピードアップされた。
1950年に長尾 - 四条畷間が電化され、非電化区間は国鉄キハ04形気動車気動車に変わり、汽車は木津 - 放出間1日2 - 3往復(放出 - 片町間と城東貨物線については不明)の貨物列車だけになった(1972年に蒸気機関車使用廃止)。
その後は、長らく電化区間が延びず、木津 - 長尾間は気動車が昼間以降1 - 2時間間隔で運転されるだけであったが、国鉄分割民営化後の1989年に木津 - 長尾間が電化され、多数の電車が運転されるようになった。
1997年、JR東西線が開業しJR宝塚線・JR神戸線との直通運転を開始。
同時に京橋 - 片町間が廃止された。
年表
以下で区間の「廃止」は特に注記がなければ当該駅および信号場間の営業線としての廃止を意味する。
廃止日以降も車両基地への回送線としてや、重複区間であるため一部区間では線路が残っている(いた)場合はその旨注記した。
1895年(明治28年)8月22日
- 浪速鉄道により片町 - 四条畷間(8マイル5チェーン (単位)≒12.98km)が開業。
全線単線。
片町駅、放出駅、徳庵駅、住道駅、四条畷駅開業。
1896年(明治29年)6月9日
- 全線で営業距離が9C(≒0.18km)延長。
1897年(明治30年)2月9日
- 浪速鉄道が関西鉄道に路線を譲渡。
1898年(明治31年)4月12日
- 四条畷 - 長尾間(8M23C≒13.34km)が延伸開業。
津田駅、長尾駅開業。
6月4日
- 長尾 - 新木津間(11M23C≒18.17km)が延伸開業。
田辺駅、祝園駅、新木津駅開業。
7月1日
- 星田駅が開業。
9月16日
- 木津 - 新木津間(29C≒0.58km)が延伸開業し、現在の奈良線である奈良鉄道線に接続。
起点を片町駅から木津駅に変更。
11月8日
- 支線 放出 - 寝屋川聯絡所間(1M35C≒2.31km)が開業。
寝屋川聯絡所開設。
11月18日
- 加茂 - 新木津間(3M64C≒6.12km)、寝屋川聯絡所 - 網島間(1M6C≒1.73km)が延伸開業。
名古屋駅 - 新木津 - 網島間が本線となり、同区間で直通列車を運転開始。
支線となった放出 - 片町間の旅客営業廃止。
網島駅開業。
1899年(明治32年)5月15日
- 野崎臨時駅開業。
1900年(明治33年)6月6日
- 大阪鉄道(奈良 - JR難波駅間)本線編入に伴い、加茂 - 新木津 - 網島間は支線となる。
1901年(明治34年)1月18日
- 支線 新木津 - 木津間休止。
1月25日
- 放出 - 片町間の営業距離が2C(≒0.04km)延長。
12月21日
- 網島 - 桜ノ宮間(57C≒1.15km)が開業。
1902年(明治35年)11月12日
- 営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに変更(加茂 - 網島間 31M71C→31.9M、放出 - 片町間 2M17C→2.2M、網島 - 桜ノ宮間 57C→0.7M、新木津 - 木津間 29C→0.4M)。
1905年(明治38年)1月1日
- 放出 - 片町間の旅客営業再開。
1907年(明治40年)8月21日
- 加茂 - 新木津間(3.8M≒6.12km)休止。
新木津駅を新木津給水所に格下げ。
10月1日
- 関西鉄道が国有化。
新木津給水所を新木津給水給炭所に変更。
11月1日
- 加茂 - 新木津間(0.4M≒0.64km)が正式に廃止。
木津 - 桜ノ宮間で営業距離が0.2M(≒0.32km)延長。
1909年(明治42年)10月12日
- 線路名称制定、木津 - 桜ノ宮間を桜ノ宮線、放出 - 片町間を片町線とする。
1911年(明治44年)8月29日
- 新木津給水給炭所廃止。
1912年(明治45年)4月21日
- 野崎仮停車場を野崎駅に格上げ。
鴻池新田駅開業。
片町駅構内扱いで京橋口乗降場設置。
5月11日
- 新喜多駅開業。
1913年(大正2年)11月15日
- 放出 - 桜ノ宮間(3.1M≒4.99km)が廃止。
木津 - 片町間を片町線とする。
片町駅京橋口乗降場を京橋駅に統合。
網島駅、寝屋川聯絡所廃止。
この時放出 - 寝屋川連絡所 - 桜ノ宮間に連絡線が敷設され、のちの放出 - 淀川間の元となったが、廃止時期不明。
1916年(大正5年)12月11日
- 新喜多駅廃止。
1927年(昭和2年)12月10日
- 放出 - (鴫野)間が複線化。
貨物支線 京橋 - 淀川間(1.2M≒1.93km)、放出 - 淀川間(3.0M≒4.83km)が開業し(貨)淀川駅が開業。
1929年(昭和4年)3月15日
- 貨物支線 淀川 - 千里信号場 - 吹田間(6.2M≒9.98km)が開業。
中間に巽信号場、千里信号場開設。
1930年(昭和5年)4月1日
- 営業距離の単位をマイルからメートルに変更(木津 - 片町間 28.1M→45.4km、放出 - 淀川間 3.0M→4.8km、淀川 - 吹田間 6.2M→10.0km、京橋 - 淀川間 1.2M→1.8km)。
1931年(昭和6年)8月10日
- 貨物支線 放出 - 正覚寺信号場 - 平野間 (8.4km)、放出 - 吹田間 (10.7km) が開業。
関西本線との分岐点に正覚寺信号場(初代)開設。
1932年(昭和7年)7月8日
- 千里信号場廃止。
11月1日
- 放出 - 京橋間に鴫野信号場を開設。
12月1日
- 四条畷 - 片町間、鴫野信号場 - 吹田間が電化。
1933年(昭和8年)9月1日
- 鴫野信号場を格上げし鴫野駅が開業。
1935年(昭和10年)12月2日
- 河内磐船駅が開業。
1939年(昭和14年)10月15日
- 貨物支線 放出 - 竜華操車場 - 八尾間 (10.4km) が開業。
正覚寺信号場(初代)を平野駅に統合し廃止。
1941年(昭和16年)7月25日
- 正覚寺信号場(2代目)開設。
1943年(昭和18年)10月1日
- 貨物支線 放出 - 平野間に蛇草信号場、放出 - 吹田間に都島信号場開設。
1945年(昭和20年)頃
- 野崎 - 住道間に東住道仮乗降場開業。
朝夕通勤時のみ列車が停車した。
1948年(昭和23年)頃
- 東住道仮乗降場廃止。
1950年(昭和25年)12月25日
- 長尾 - 四条畷間が電化。
電化当初は4両編成の電車が40 - 60分間隔で1日21往復。
木津 - 長尾間は気動車1日9往復と早朝に下り貨客混合列車1本。
1952年(昭和27年)12月1日
- 西木津駅、下狛駅、上田辺駅、大住駅が開業。
1953年(昭和28年)5月1日
- 忍ヶ丘駅が開業。
1954年(昭和29年)
- 津田 - 禁野火薬庫と星田 - 香里製造所の専用線(禁野側線・香里側線)を廃止。
1955年(昭和30年)1月25日
- 鴫野 - 片町間が複線化。
1961年(昭和36年)4月25日
- 貨物支線 京橋 - 淀川間 (1.8km) が廃止(ただし、環状線電車の淀川電車区入線のために、線路自体は存続)。
12月10日
- 正覚寺信号場(2代目)を平野駅に統合し廃止。
1969年(昭和44年)2月27日
- 四条畷 - 住道間が複線化。
3月22日
- 住道 - 徳庵間が複線化。
3月25日
- 徳庵 - 放出間が複線化。
1972年(昭和47年)6月30日
- 祝園弾薬庫線(川西側線)が廃止。
1976年(昭和51年)3月8日
- 国鉄101系電車が京浜東北線から転入。
片町線初の新性能電車。
その後、1976年(昭和51年)度には大阪環状線からも101系が転入される。
1977年(昭和52年)3月
- 旧形電車(国鉄72系電車)の運行終了。
1979年(昭和54年)10月1日
- 四条畷 - 長尾間が複線化。
藤阪駅、東寝屋川駅が開業。
長尾 - 片町間の各駅に関西の国鉄線では初めて自動改札機設置。
1980年(昭和55年)5月9日
- 国鉄103系電車が新製投入。
1982年(昭和57年)11月15日
- 貨物支線 放出 - 淀川間 (4.8km)、淀川 - 吹田間 (10.0km) が廃止。
淀川駅、巽信号場、都島信号場廃止。
ただし、片町線電車の淀川電車区への出入区のために、線路自体は淀川電車区移転まで存続。
また放出 - 鴫野間、巽信号場 - 吹田間は現存区間と重複。
1983年(昭和58年)3月21日
- 103系電車が京阪神緩行線から順次、大量に転入(1984年9月30日に完了)。
1985年(昭和60年)3月14日
- 片町線の車両基地である淀川電車区が、旧淀川駅構内の大阪市都島区中野町から現在地の東大阪市川俣に完全移転。
放出 - 淀川間、京橋 - 淀川間の旧淀川電車区出入区線が完全に廃止される。
1986年(昭和61年)4月1日
- 同志社前駅が開業。
1987年(昭和62年)4月1日
- 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が継承。
日本貨物鉄道が一部区間の第二種鉄道事業者となる。
木津 - 徳庵間の貨物営業廃止。
放出 - 八尾間、鴫野 - 吹田間が戸籍上旅客営業開始。
1988年(昭和63年)3月13日
- 学研都市線の愛称使用開始。
快速列車の運行開始(当初は平日のみ上り1本・下り2本。)
(停車駅:長尾・四条畷・住道・放出・京橋・片町)。
9月1日
- 河内磐船駅が快速停車駅になる。
1989年(平成元年)
3月11日
- 木津 - 長尾間が電化。
大住 - 長尾間が経路変更で0.1km短縮、同区間に松井山手駅が開業、松井山手 - 長尾間複線化。
快速列車を大幅増発。
6月頃、片町線から101系電車が撤退(7両編成を6両編成化した上で森ノ宮電車区に転属し、桜島線や大阪環状線で1991年まで運用)。
1991年(平成3年)4月30日
- 207系電車営業運転開始
1996年(平成8年)9月 片町線から103系電車が引退(片町線103系は大阪環状線、大和路線、奈良線、阪和線等に転属され、一部は後に3500番台として播但線へも転用された)。
1997年(平成9年)3月8日
- JR東西線開業により、JR宝塚線・JR神戸線との直通運転を開始。
京橋 - 片町間 (0.5km) 廃止。
片町駅廃止。
田辺駅を京田辺駅、上田辺駅をJR三山木駅に改称。
1999年(平成11年)5月10日
- 区間快速の運転開始。
2002年(平成14年)3月23日
- 京都府や京田辺市などの負担で京田辺 - 松井山手間の高速化事業完成。
増解結駅が松井山手駅から京田辺駅に変更となる。
同時に星田駅が快速停車駅になる。
2003年(平成15年)3月
- 貨物支線の蛇草信号場廃止。
2008年(平成20年)3月14日
- 321系電車営業運転開始。
2008年(平成20年)3月15日
- 貨物支線 放出 - 八尾間 (10.4km) 廃止(おおさか東線開業のため)。
平野側の貨物支線は片町線のまま存続するため、おおさか東線からの分岐点に正覚寺信号場(3代目)を新設して、正覚寺信号場 - 平野間を片町線所属の支線とする。
駅一覧
普通列車は全駅に停車する(表中では省略)。
凡例
駅名 … ◇:貨物取扱駅(定期貨物列車の発着なし)、:特定都区市内「大阪市内」の駅
停車駅 … ●:停車、|:通過
単線/複線 … ∥:複線区間、◇:単線区間(列車交換可能)、|:単線区間(列車交換不可)、▽:木津方面同士の列車交換不可、∧:ここより下は複線
貨物支線
全駅・信号場とも大阪府に所在。
今後の予定
2009年度末までに木津駅から同志社前駅までの各駅のホームを延長し、全区間7両編成で運転すると発表されている。