山陽道 (Sanyodo)
山陽道(さんようどう、せんようどう、かげとものみち)、影面道、光面道(かげとものみち)
五畿七道の一つで、本州の瀬戸内海側。
五畿七道の山陽道を通る幹線道路。
律令時代に整備された物。
江戸時代に整備された物(西国街道)。
山陽自動車道の略称。
行政区画としての山陽道
令制国一覧 > 山陽道
五畿七道の一つで、本州の瀬戸内海側を指す。
畿内の西に位置し、現在の兵庫県西部から山口県までに至る瀬戸内海沿岸を総称した。
播磨国
美作国 - 713年(和銅6年)に備前国より分割。
備前国
備中国
備後国
安芸国
周防国
長門国
律令時代
律令制時代の道路としての山陽道は、畿内(難波京、平城京、平安京)と北部九州(大宰府、博多)を結んでいた。
外国の使節が通行し、宿泊する事が想定されたため、七道の中で唯一の大路に格付けされ、最重視された。
平城京、平安京などの都の変遷に応じて、道路の東端は変化した。
古代の山陽道は道幅約6mから9m、道筋は直線的で、各国の国府を効率良く結んでいた。
本道から外れた美作国へは、播磨国から西北に道路が伸びていた。
江戸時代
江戸幕府は、五街道を筆頭にする街道整備政策の延長線上に、山陽道の整備を置いた。
宿駅は42箇所設置された。
江戸時代の山陽道は西国街道とも呼ばれており、京都と下関市を結んでおり、下関から関門海峡を越えて小倉市へと至った。
これは、江戸と長崎市を結ぶ幹線道路の一角でもあった。
明治時代以後
明治政府は、国道に番号を付けて管理する制度を採った。
江戸時代までの山陽道は、明治時代には東京市と神戸市を結ぶ国道3号(2号から京都市で分岐)、および、東京と長崎市を結ぶ国道4号の一部になり、大正時代には東京と鹿児島市を結ぶ国道2号(1号から三重県で分岐)の一部になった。
現在では、山陽道は、大阪市と北九州市を結ぶ国道2号に引き継がれている。
しかし、律令時代や江戸時代の山陽道とは異なる道筋の部分も多い。
岡山県岡山市~広島県福山市にかけての国道2号は大幅に異なるルート(鴨方往来)を通る。
また、鉄道の山陽本線や山陽新幹線、高速道路の山陽自動車道も、ほぼ古来の山陽道に沿って敷設されている。
現代においても、近畿地方と九州を結ぶ機能を律令時代から維持し続けている。
現在において「山陽道」と呼んだ場合には、「山陽自動車道」のことを指す。
岡山県岡山市~広島県福山市にかけて、国道2号がかつての山陽道を踏襲していないこともあって、かつての山陽道やそれに並行する道路は「旧山陽道」と呼ぶのが岡山県や広島県東部では、一般的となっている。