渋谷街道 (Shibutani Kaido)
渋谷街道(しぶたにかいどう)、または渋谷通、渋谷越とは、東山 (京都府)を越え京(京都)と山科区を結ぶ京都市内の通りの一つ。
名称について
渋谷は、もともとは滑谷(しるたに、汁谷、瀋谷などとも記される)と言われ、沢の水が絶えず落ち葉などと相俟って非常に滑りやすい道となっていたことに由来する。
古くは、久々目路、苦集滅道(くずめじ)とも称した。
また、馬町通(うままちどおり)とも呼ばれた。
沿革
東国から京に至る古くからの道であり、『保元物語』に「久々目路」の文字をみることができる。
鎌倉時代になり、鎌倉幕府の六波羅探題がこの道の京都側に設置されたことで、東から京への入口として重要性が高まることになった。
しかし、六波羅探題が滅び、さらに近世になってからは北に位置する日ノ岡越が東海道として主要幹線に位置づけられたことから、間道として利用されるに過ぎなくなった。
明治になると、東山に花山洞(トンネル)が穿たれた。
昭和42年には国道1号(東山バイパス)の東山トンネルが花山洞の南側を通って敷設された。
現在、京都側、山科側ともに国道1号の混雑を回避するための抜け道として利用されている。
道のり
現在の渋谷街道に相当する京都府道116号渋谷山科停車場線は、東大路通(馬町交差点)から始まるが、渋谷街道の京都側の起点はそれよりも西の本町通 (京都)とされる。
馬町は、六波羅探題が栄えた頃、駿馬があり鎌倉に送るためにこの地に繋留したところ、大勢の人が見に来たことから馬町と称されるようになったと伝えられる。
馬町は太平洋戦争の時に空襲の被害があったところである。
現在の渋谷街道は、東山トンネルで国道1号に合流するが、この東山トンネルの北側にある人道トンネルが、かつての渋谷街道のトンネル(花山洞)である。
また、山科側では東進し醍醐道(渋谷醍醐道交差点)に至るが、かつては途中で北よりに進路を変え、五条別れで東海道に合流していた。