五街道 (Go-kaido Roads (Five Main Routes))

五街道(ごかいどう)は、江戸時代の江戸を起点とする五つの陸上交通路。
慶長6年(1601年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、四代将軍徳川家綱の代になって基幹街道に定められた。

五街道

慶長9年(1604年)に日本橋 (東京都中央区)が五街道の起点として定められた。
整備として一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意した。
万治2年(1659年)以降は新たに設置された道中奉行の管轄に置かれた。
五街道の正式名称が定められたのは、享保元年(1716年)である。

東海道 (京街道 (大坂街道)を含める場合もある)
‐寛永元年(1624年)完成
中山道 (中仙道とも表記する)
‐元禄7年(1694年)完成
甲州街道 (甲州道中)
- 明和9年(1772年)完成
奥州街道 (奥州道中)
- 正保3年(1646年)完成
日光街道 (日光道中)
- 寛政13年(1636年)頃完成

五街道以外の主要街道

五街道の枝道、また古街道として脇往還が設置され、勘定奉行の管轄に置かれた。

中原街道:江戸・平塚間をほぼ直線につなぐ脇往還として沿道の農産物等の運搬や旅人の最速ルートとして利用された。
東海道は大名行列が通る為、その煩わしさを嫌う庶民が利用した。

川越街道:中山道の脇街道。
板橋宿より練馬、白子、膝折を経て川越城に至る。

川越児玉往還:川越街道からさらに上州藤岡市へ至る街道。

鎌倉街道:鎌倉に直通できるように作られた軍事道路。
上道、中道、下道があった。

大山街道:神奈川県大山参りへの街道。

北陸道:北国街道から加賀国金沢市、近江国木之本町を経て中山道に至る。

北国街道:中山道追分宿から分かれ、善光寺を経て越後国高田市へ至る街道。

三国街道:中仙道高崎宿から分かれ、越後国寺泊町へ至り、佐渡国へ渡る街道。
現在は国道17号が通る。

京街道:東海道終点の京(三条大橋)から大坂へ向かう街道。

大和の古道:大和地方を貫通する飛鳥・奈良時代の街道。

高野街道:京・大坂から高野山への参詣道。

西国街道:京から大坂を経由せずに下関へ向かう街道。
江戸時代における山陽道の呼称。

水戸街道 ・陸前浜街道 日光街道・奥州街道の脇街道。
江戸から仙台まで太平洋岸をたどる街道を総称して「陸前浜街道」といい、うち徳川御三家のひとつが置かれていた水戸市までを「水戸街道」と呼ぶ場合がある。
水戸街道という呼称は、現在は国道6号線の東京都墨田区から水戸までの部分の通称としても使われている。

土佐街道:ほぼ現在の国道33号そのもの。

羽州街道:中桑折宿から小坂峠・金山峠を越えて山形、秋田、青森へ至る。

仙台道・松前道:奥州街道の脇街道。
陸奥国白河市から仙台市までと、仙台から松前町 (北海道)を経て函館市に至る街道で、国道4号をほぼなぞる。
奥州街道の延長路に当たるため、これらの街道も便宜的に奥州街道と呼称することもある。

日光脇往還:甲州街道八王子市から日光市へ向かう日光街道の脇往還。

日光例幣使街道:中山道倉賀野宿から日光へ至る。

日光御成街道 :将軍が日光東照宮参詣の為に利用した街道。
本郷追分で中山道から分かれ、岩淵宿や岩槻区を経由して幸手市で日光街道と合流する。
「岩槻街道」とも呼ばれる。

秩父往還:中山道熊谷宿から秩父市を経て甲州甲府市へ至る街道。

長崎街道:山陽道につながる小倉北区から長崎市へ到る街道。

米沢街道
佐渡路
伊勢路
美濃路:東海道宮宿(熱田)から中山道垂井宿にいたる街道。
東海道の鈴鹿峠・七里の渡し、中山道の太田の渡し等の難所を迂回することができた。

東金御成街道:将軍が鷹狩をする為に土井利勝によって造成された街道。
船橋市から上総国東金市へ至る。
初代徳川家康から三代徳川家光までが下向した。

塩の道:海岸から山中へ海産物を運ぶために使用された道の総称。
特に中部地方の塩の道 (日本)が有名。

[English Translation]