学校法人同志社 (Doshisha)

学校法人同志社(がっこうほうじんどうししゃ、英字表記The Doshisha)は、同志社大学や同志社女子大学が属する学校法人。

同志社は1875年、新島襄によって創立されたキリスト教プロテスタント(会衆派)に基づくキリスト教主義の学校で、大学から幼稚園まで「同志社」の名を冠する9つの教育機関を有する総合学園である(2005年4月現在)。
2004年4月現在でおおよそ36000人が同志社で学んでいる。

現在、学校法人同志社は、株式会社格付投資情報センター (R&I) から、を取得している。
は、21段階ある格付けの上から2番目。
学校法人早稲田大学、学校法人慶應義塾と並んで、学校法人としてはトップである。

建学の精神

同志社の建学精神はキリスト教精神に基づく「良心」である。
新島襄は建学の目的として、「良心を手腕に運用する人物」の育成を掲げた。
知識教育に偏ることのないよう、キリスト教に基づく「徳育」を並行して進めることで、「良心の全身に充満」した人々を輩出したいと願ったのである。
その思いを彼の筆跡のまま刻んだ碑が、同志社大学などの諸学校に存在する。
この良心碑には、「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」という言葉が刻まれている。

また、この「良心」教育を具体的に実現するための教育理念として、「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」が掲げられ、これらを通じて「一国の良心」たる人物を輩出することを目指している。

学風および特色

キリスト教プロテスタント系の学校法人で、会衆派教会(組合教会)の流れをくむ。
しかし、いわゆるミッション系大学とは性質が異なり、キリスト教伝道を主たる目的としない(教育そのものを伝道の手段としない)。

略歴

1875年、明治六大教育家の一人である新島襄により設立された同志社英学校を前身とする学校法人。

年表

1875年 新島襄が京都寺町通丸太町に同志社英学校を開校する。
教員2人、生徒8人。

1876年 寺町から今出川に移る。

1877年 4月に同志社分校女紅場を開設し、9月に同志社女学校へ改称。

1883年 同志社社則を制定
1887年 同志社病院・京都看病婦学校の開院。

1888年 「同志社大学設立の旨意」を全国の主要な新聞・雑誌にて発表。

1890年 同志社ハリス理化学校開校。

1891年 同志社政法学校開校。

1896年 普通学校を同志社高等普通学校と改称。
同志社尋常中学校を開設。

1897年 M.F.デントンが出町幼稚園を開園
1900年 出町幼稚園を今出川幼稚園へ改称
1904年 専門学校令による神学校と専門学校を開校。
同志社政法学校廃校。

1906年 同志社病院・京都看病婦学校閉館。
同志社ハリス理科学校廃校。

1912年 専門学校令による同志社大学(予科、神学部、政治経済学部、英文科)と女学校専門学部(英文科、家政科)を開校
1920年 大学令による同志社大学を開校。

1922年 専門学校令による大学を専門学校として再編成
1943年 中学校令による中学校開校。

1944年 工業専門学校開校。

1947年 今出川幼稚園を同志社幼稚園と改称。

1948年 新制大学、新制高等学校、新制定時制商業高等学校、新制女子高等学校を設置
1951年 香里学園を合併し、同志社香里中学校・高等学校を開校。

1976年 同志社商業高等学校廃校。

1980年 同志社国際中学校・高等学校開校。

1986年 田辺校地(現在の京田辺校地)開校
1988年 同志社国際中学校・高等学校開校。

2006年 同志社小学校開校。

学校法人同志社内の諸学校 及び その関係校

大学

同志社大学(今出川校地、室町校地、新町校地、京田辺校地、学研都市キャンパス)
同志社女子大学(今出川校地、京田辺校地)

高等学校
同志社高等学校
中高一貫校
同志社女子中学校・高等学校
同志社香里中学校・高等学校
同志社国際中学校・高等学校
中学校
同志社中学校
小学校
同志社小学校(大学付属)

幼稚園
同志社幼稚園

その他(系列校では無いが関係校として)
新島学園中学校・高等学校
新島学園短期大学

過去にあった学校

同志社英学校
同志社ハリス理化学校
同志社政法学校
同志社尋常中学校
同志社大学短期大学部
同志社女子大学短期大学部
同志社商業高等学校

計画中の学校

同志社国際小学校

施設

同志社びわこリトリートセンター
同志社創立125周年を記念して「キリスト教主義教育・国際交流」を目的に作られた施設。
宿泊施設や各種運動設備があり、学校法人同志社の関係者や、学生が、ゼミやサークル活動において利用できる。

新島会館
創設者新島襄が住んだ家の庭内にある会館。
本館と別館があり、同窓会などに利用されている。

社会との関わり

文化財

同志社には以下の文化財が存在している。

重要文化財

同志社に存在する日本国政府に指定された重要文化財には以下のものがある。

建築物

同志社礼拝堂 (同志社大学今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1963年7月1日
年代明治19年
構造形式煉瓦造、建築面積316.0㎡、一階建、一部中二階及び地下室付、鉄板葺
D.C.グリーンが設計し、1886年に竣工。
アメリカン・ゴシック調の鉄板葺き煉瓦造り。
アメリカン・ボードの寄付によって建築。
日本におけるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては現存する最古のもの。
施工は有終館も請け負った三上吉兵衛。
ステンドグラスが美しく、徳冨蘆花の小説、黒い眼と茶色の目の中で「五色の光線」が降ると形容された。
1963年に国の重要文化財に指定され、1987年から1990年まで半解体修理工事が行われた。
現在も礼拝堂として使用されており、毎週礼拝も行われている。
また、週末には同志社関係者に限り結婚式を挙げることもできる。
同志社の礼拝堂としては2代目(初代は木造)。

彰栄館 (同志社中学校)

D.C.グリーンが設計し、1884年に竣工。
アメリカン・ゴシック調の瓦葺きの煉瓦造り。
アメリカン・ボードの寄付によって建築。
京都市内に現存する煉瓦建築の中では最古のもの。

有終館 (同志社大学今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代明治20年
構造形式煉瓦造、建築面積352.3㎡、二階建、地下一階、桟瓦葺(内装を除く)
1887年に、書籍館として竣工。
竣工した当時は日本最大の学校図書館建築物であった。
設計はD.C.グリーン。
施工は三上吉兵衛。
初代大学図書館。
1928年昭和天皇が即位式で在京の折、この有終館が出火した。
即位式典の場所である御所は、同志社今出川校地の隣りなので、大学当局は即位式の間、全学あげて構内の警備をしていた。
ところがその詰所にしていた部屋の木製の大火鉢が加熱して出火してしまったのである。
これにより当時の海老名弾正総長および理事、監事は引責辞職。
同志社は国賊であるかのように罵られたという。
燃え残った有終館の駆体は撤去の予定であったが、当時隣の同志社女学校の建築を手がけていた武田五一が修理・保存を勧告、結局外壁の内部に15cmの鉄筋コンクリートの壁を作る方法で保存した。

ハリス理化学館 (同志社大学今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代明治23年
構造形式煉瓦造、建築面積587.0㎡、東北隅実験室付、桟瓦葺(階段以外の内装を除く)
アメリカ合衆国コネティカット州ニューロンドン (コネチカット州)のJONATHAN N. HARRISの寄付によって建設された。
設計者は英国王立建築家協会員のALEX N. HANSELL。
1890年の竣工で、イギリス積みの煉瓦建築。
1979年5月21日に重要文化財に指定された。

クラーク記念館 (同志社大学今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代明治27年
構造形式煉瓦造、建築面積389.4㎡、桟瓦葺、西南隅塔屋付、銅板葺
附指定建築仕様書等1冊、建築設計図1巻
幼くしてこの世を去った息子のためにとB.W.クラーク夫妻より寄付された資金で建設された。
ドイツのネオ・ゴシックを基調とする建築物で、「印象的な尖塔は同志社大学のシンボル的存在」と同志社大学関係者は考えている。
1894年の開館当時はクラーク神学館と呼ばれ、神学教育・研究の中心として使用された。
1979年5月に「設計図」、「新築仕様書」とともに重要文化財に指定された。
2003年1月から2007年12月まで改修工事中。
2006年年度に行われた同志社EVEにおいて、補修工事に使われた100年は持つといわれている梁に寄せ書きを行うイベントも開催された。

国登録有形文化財

建築物

アーモスト館 (同志社大学今出川校地)

登録番号26-0200
構造鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、スレート葺、建築面積343㎡
年代明治7年
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町632
原簿記載年月日2005年11月10日
官報告示年月日2005年12月5日
1931年11月29日定礎。
1932年3月20日竣工。
ニューイングランド・ジョージア様式で、左右対称の概観が特徴。
2005年6月27日に登録有形文化財(建造物)に指定。
学生寮(アーモスト寮)として使用されているが、現在は改修工事中。

同志社啓明館西館(同志社大学今出川校地)

登録番号26-0257
構造煉瓦及び鉄筋コンクリート造4階建、スレート葺、建築面積153㎡、渡廊下付
年代大正4年
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町602-1
原簿記載年月日2007年7月31日
官報告示年月日2007年8月13日
1915年同志社大学図書館(2代目大学図書館)として竣工。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
1973年12月 に現在の同志社大学今出川図書館(3代目大学図書館)の竣工により、「啓明館」と改称する。
2007年7月31日に登録された。

同志社啓明館本館(同志社大学今出川校地)

登録番号26-0256
構造煉瓦及び鉄筋コンクリート造5階建、スレート葺、建築面積406㎡
年代大正9年
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町602-1
原簿記載年月日2007年7月31日
官報告示年月日2007年8月13日
1920年同志社大学図書館(2代目大学図書館)として竣工。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
1973年12月 に現在の同志社大学今出川図書館(3代目大学図書館)の竣工により、「啓明館」と改称する。
2007年7月31日に登録された。

同志社フレンドピースハウス(旧同志社大学布哇寮)

同志社女子大学ジェームズ館(同志社女子大学今出川校地)

同志社女子大学栄光館(同志社女子大学今出川校地)

その他

薩摩藩邸跡 (同志社大学今出川校地)
同志社大学今出川校地の敷地一帯は幕末の薩摩藩邸がおかれていた。
1862年に京都市中京区から移転し、倒幕運動の拠点となった。

近衛殿跡 (同志社大学新町校地)
同志社大学新町校地の臨光館一帯は摂家の一つで公家の近衛家の邸宅があった。
現在も臨光館の地下に保存されている。

石敷き遺構 (同志社大学室町校地)
2002年の同志社大学室町校地寒梅館の建設に伴う発掘調査にて発見された。
石敷きの中から16世紀中頃の土器が出土した。
洛中洛外図により、寒梅館周辺は第12代将軍足利義晴が再築した室町殿のあった場所と推定される。
出土したものと、洛中洛外図が一致するため、この石敷きは室町殿の北東隅の社とその南の築地基礎と推定される。
現在は寒梅館にて一部発掘したままの状態を見ることができるようになっている。

恐竜の足跡 (同志社大学今出川校地)
アーモスト館とゲストハウスの渡り廊下に恐竜の足跡がある。
この足跡は、アメリカ合衆国のニューイングランド、コネチカット州の渓谷から出たもので「時の砂に押し残された足跡」と記されている。
有史前の足跡は「新世界」からアジアの「旧世界」へと同志社とアーモスト、アメリカ合衆国と日本の長い絆を想起させるものとして贈られてきたものである。

[English Translation]