上淀廃寺跡 (Kamiyodo abandoned temple)
上淀廃寺跡(かみよどはいじあと)は、鳥取県米子市淀江町福岡字櫻田・法行・垣サゴに所在する古代寺院の遺跡。
淀江平野東側の丘陵裾に位置する。
概要
1991年より淀江町教育委員会が発掘調査を実施した。
法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の仏教壁画が初めて出土し、社会的に注目された。
数少ない白鳳時代寺院の堂内荘厳を復元し得る遺跡と評価され、1996年3月29日に、国の史跡に指定された。
現在の指定面積は25,560平方メートル。
紀年銘瓦等の遺物から飛鳥時代後期(7世紀後葉)の建立、8世紀中頃の改修を経て、平安時代中期(11世紀前葉)に焼失したものと考えられる。
これまでの調査で中心伽藍、寺域、その他倉庫等の雑舎が確認されているが、講堂の所在が不明である。
寺域は天平尺で東西約2町(212メートル)、南北1町(106メートル)の規格とみられ、ほぼ中央に半町(53メートル)四方の中心伽藍が位置する。
伽藍配置は南を正面として、東西棟の金堂の東側に、南北に3基の塔を並べる設計とみられる。
ただし、北塔については心礎と造成のみで基壇は未確認である。
計画のみとしても3塔を配置する例は無く、2塔でも南北に配置する古代寺院は他に無い。
基壇の規模は、金堂が東西14.2メートル、南北12.5メートル、塔はいずれも9.5メートル四方を測る。
金堂及び中・南塔の基壇は瓦積みの周囲に石列を設置する二重基壇で、百済の寺院に多く見られる様式である。
遺物は、壁土(壁画含む)約1,300点の他に、塑像約3,500点、瓦類(鴟尾含む)、土器、鉄器、金銅製品が出土した。
塑像は金堂跡、中・南塔跡とも周辺から、壁画は金堂周辺のみからの出土である。
壁画及び塑像は、いずれも創建時と改修時のものがある。
創建時は半丈六如来像を本尊として、背後に浄土変相図の類の壁画が描かれていたと考えられる。
改修時には金堂に丈六三尊像が本尊として安置され、壁画も一部、創建時より大きいモチーフで「光背」や「蓮台」など仏像の背景的なものが描かれる。
出土品は近接する米子市淀江歴史民俗資料館に保管・展示されている。
遺跡は2004年から米子市によって環境整備(公園化)が進められている。
同じ淀江町福岡地内に史跡妻木晩田遺跡、向山古墳群が所在する。