園韓神社 (Sonokarakami-no-yashiro Shrine)
園韓神社(そのからかみのやしろ)は、園神社(そのじんじゃ、そのかみのやしろ)及び韓神社(からじんじゃ、からかみのやしろ)の総称。
園神社、韓神社は、いずれも平安京の宮中、宮内省内に鎮座していた神社である。
園韓神社は、平安遷都以前からその地にあったとされる神社で、養老年間(717年 - 724年)に藤原氏によって創建されたものとされる。
『新抄格勅符抄』には、天平神護元年(765年)、 讃岐国に園神20戸・韓神10戸の神封戸を充てたとの記述がある。
『古事談』『江家次第』などによれば、延暦13年(794年)の平安遷都の際に他所へ遷座しようとしたところ、「猶(なお)此の地に坐して、帝王を護り奉らむ」と託宣があったため遷座せず、皇室の守護神として宮内省に鎮座することになったという。
ただし、奈良の漢国神社の社伝では、貞観 (日本)元年(859年)正月27日に漢国神社の祭神(園神・韓神)を宮内省内に勧請したのが園韓神社であるとしている。
『延喜式神名帳』では「宮中」の「宮内省坐神三座」として「園神社」「韓神社二座」の記載があり、宮中ではこの2社のみが名神大社に列している。
祭神については諸説ある。
『古事記伝』では、『古事記』に記載される大年神の御子神の「曾富理神」(そほりのかみ)が園神・韓神二座のいづれか一座であるという説が唱えられている。
また、『古事記』では、大年神の御子神に「韓神」がある。
『大倭神社註進状』では園神を大物主、韓神二座を大国主・スクナビコナとしている(漢国神社の祭神はこの三柱である。)
ただし、大倭神社註進状は偽書であるという説もある。
2月の春日祭の後の丑の日と11月の新嘗祭の前の丑の日が当社の例祭日とされ、園韓神祭(そのからかみのまつり)と呼ばれた。
平安時代以降、朝廷の衰微とともに、園韓神祭は次第に行われないようになった。
『康富記』によれば、応永26年(1419年)2月5日に当社は大風で転倒した。
現在、京都に園神社・韓神社は存在しない。
京都市上京区の二条公園内にある玉姫大明神を祀る小祠が園韓神社の跡であるとされる。
一説に、明治初年の東京奠都の際に東京へ遷座し、現在は八神殿の神や他の宮中神とともに宮中三殿内の神殿に祀られているともされる。