壬生寺 (Mibu-dera Temple)

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院である。
本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。
中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「壬生寺壬生狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。
壬生寺は通称で、寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光院という。

起源と歴史
園城寺(三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。
京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。

中世に融通念仏の円覚上人が中興。
重要無形文化財の融通念仏による壬生の「大念仏狂言」は円覚上人が始めたものと伝えられる。

江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。
その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市、三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊の地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年(昭和37年)7月25日、放火により本堂とともに焼失した。
現在の本尊・地蔵菩薩立像は、火災後に本山の唐招提寺から移されたものである。

境内
旧本堂は1962年、放火で全焼し、現在の本堂は1970年(昭和45年)の再建である。
境内には他に大念仏堂(狂言舞台、重要文化財)、近藤勇銅像、壬生塚などがある。

文化財
重要文化財
木造地蔵菩薩立像(唐招提寺旧蔵、平安時代)
錫杖(しゃくじょう)
列仙図屏風
壬生寺大念仏堂(狂言舞台)

1962年の火災で旧本尊・地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代)、四天王立像(鎌倉時代)、正嘉元年(1257年)銘の金鼓(お堂の前に吊るす「鰐口」のこと)などの寺宝を焼失した(地蔵像、四天王像、金鼓はいずれも当時重要文化財)。

壬生寺で演じられる壬生狂言、壬生六斎念仏踊りが重要無形民俗文化財に指定されている。

壬生狂言

壬生狂言(みぶきょうげん)は、毎年節分と4月、10月に京都市 中京区の壬生寺(みぶでら)で演じられる無言劇である。
大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。
重要無形民俗文化財に指定されている。

仮面をつけた演者が、鉦、太鼓、笛の囃子に合わせ、無言で演じる。
演目は全部で30ある。
演目には、勧善懲悪などの教訓を伝える話や平家物語、御伽草子に取材した話などがある。
煎餅を観客席に投げる(愛宕詣り)、紙でできた糸を観客席に投げる(土蜘蛛)、綱渡りをする(鵺)、素焼きの皿を割る(炮烙割り)といった派手な見せ場を持つ演目もある。

壬生狂言を伝承し演じるのは、壬生大念仏講中の人々である。
地元の小学生から長老まで約40人が壬生大念仏講中を構成し、学校通い、会社勤め、商いなどの本職のかたわらに練習をし、公演をしている。

公演は毎年3回、

2月の節分前日と当日の2日間 節分会(せつぶんえ)

4月21日から4月29日までの9日間 大念仏会(だいねんぶつえ)

10月の体育の日までの3日間 秋の特別公開である。

歴史

鎌倉時代の1300年、融通念仏の円覚上人によって創始されたと伝えられている融通念仏の狂言。
メガホンのない時代に、仏教を群衆にわかりやすく説くために、大げさな身ぶり手ぶりで表現する無言劇の形態が採用されたという。
念仏狂言が無言劇化した理由については、本来、大衆が念仏をする前で行なわれたものであったために、台詞を発しても念仏の声にかき消されて伝わらないので無言になったとする説もある。
なお、同じ念仏狂言でも、引接寺 (京都市)のものは、台詞入りで行なわれている。

江戸時代になると、布教活動としての色彩が薄れ、大衆娯楽として発展した。
能や狂言、物語に取材し、新しい演目が考案された。

演目一覧

愛宕詣り(あたごまいり) ※ 但し、本来は壬生寺ではなく清凉寺の演目。

安達が原(あだちがはら)

大江山(おおえやま)

大原女(おはらめ)

桶取(おけとり)

餓鬼角力(がきずもう)

蟹殿(かにどん)

熊坂(くまさか)

賽の河原(さいのかわら)

酒蔵金蔵(さけぐらかねぐら)

節分(せつぶん)- 2月の節分会で上演される演目。
節分の鬼を豆によって退治する話。

大仏供養(だいぶつくよう)

大黒狩(だいこくがり)

玉藻前(たまものまえ)

土蜘蛛(つちぐも)

道成寺(どうじょうじ)

鵺(ぬえ)

橋弁慶(はしべんけい)

花折(はなおり)

花盗人(はなぬすびと)

舟弁慶(ふなべんけい)

炮烙割り(ほうらくわり)- 4月の大念仏会の公演では、必ず最初に催される演目であり、2月の節分会の際に奉納された炮烙が、この演目の最後に割られる。
炮烙が割れると願い事が成就するとされている。

堀川御所(ほりかわごしょ)

本能寺(ほんのうじ)

棒振(ぼうふり)

紅葉狩(もみじがり)

山端とろろ(やまばなとろろ)

湯立(ゆたて)

夜討曽我(ようちそが)

羅生門(らしょうもん)

壬生六斎念仏踊り

壬生六斎念仏踊り(みぶろくさいねんぶつおどり)は、主に8月の盂蘭盆の時期に行われる郷土芸能であり、重要無形民俗文化財である。

かつては、毎年8月9日の精霊迎え火、16日の精霊送り火、23日の地蔵盆に壬生寺で上演されていたが、現在は9日にのみ実施されている。

上演主体は、「壬生六斎念仏講中」という地域の有志者団体である。
壬生狂言を行う「壬生大念仏講中」とは別組織である。

講員は揃いの浴衣姿となり、太鼓、鉦、笛を駆使して、万灯供養会の灯明を背景に、主として地歌・長唄等に取材した曲を編曲して舞台上で演奏する。
また、獅子舞のアクロバットや蜘蛛との対決等の派手な芸も見せる。

元々六斎念仏とは踊念仏の流れを汲む宗教行事であり、今なおその形式で継承されているものも全国各地で見られる。
だが、京洛ではこれが近世に入って娯楽化し、壬生六斎念仏踊りのような伝統芸能となって伝わったのである。
同様の芸態は、京都市内に壬生のほか9団体で伝承されている。

なお、同講中は京都の祇園祭に綾傘鉾の囃子方として参加している。
それは、壬生の者が江戸期より同鉾に奉仕する慣わしであり、講中に伝わる「祇園ばやし」や棒振りの芸はその囃子等を継受したものであるという歴史的経緯を踏まえてのことである。

[English Translation]