妙心寺 (Myoshin-ji Temple)
妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園 (京都市)にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。
山号を正法山と称する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は花園天皇、開山(初代住職)は関山慧玄(かんざんえげん、無相大師)である。
日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。
近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭寺院(たっちゅうじいん、子院)が建ち並び、一大寺院群を形成している。
歴史
京都の禅寺は、五山十刹(ござんじっさつ)に代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。
前者を「禅林」または「叢林」(そうりん)、後者を「林下」(りんか)といった。
妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。
今の妙心寺の地には、花園上皇の離宮・萩原殿があった。
花園上皇は、建武 (日本)2年(1335年)落飾(剃髪して仏門に入ること)して法皇となり、萩原殿を禅寺に改めることを発願した。
法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう、大燈国師)であった。
宗峰は建武4年(1337年)12月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄(かんざんえげん、1277-1360)を推挙した。
その頃、美濃国(岐阜県)の山奥で修行に明け暮れていた関山は、都に戻ることを渋っていたが、師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、暦応5年/康永元年(1342年)、妙心寺の開山となった。
なお、「正法山妙心寺」の山号寺号は宗峰が命名したもので、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉(まかかしょう)に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」(「最高の悟り」というほどの意味)という句から取ったものである。
関山慧玄の禅風は厳格で、その生活は質素をきわめたという。
関山には他の高僧のような「語録」はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼(じゅおうそうひつ)に書き与えた印可状(師匠の法を受け継いだ証明書)のほかほとんど残されていない。
妙心寺6世住持の拙堂宗朴(せつどうそうぼく)は、足利氏に反旗をひるがえした大内義弘と関係が深かったため、将軍足利義満の怒りを買った。
応永6年(1399年)、義満は妙心寺の寺領を没収し、拙堂宗朴は大内義弘に連座して青蓮院に幽閉の身となった。
妙心寺は応仁の乱(1467-1477年)で伽藍を焼失したが、中興の祖である雪江宗深(せっこうそうしん、1408-1486)の尽力により復興。
細川家や豊臣家などの有力者の援護を得て、近世には大いに栄えた。
伽藍
勅使門-慶長15年(1610年)建立。
三門-慶長4年(1599年)建立。
五間三戸(正面の柱間5間のうち中央3間が通路)の二重門(2階建門)である。
上層には円通大士(観音)と十六羅漢像を安置する。
仏殿-他の諸堂より新しく、文政10年(1827年)の建立。
入母屋造、一重裳階(もこし)付き。
法堂(はっとう)-明暦2年(1656年)の建立。
入母屋造、一重裳階付き。
大方丈-承応3年(1654年)の建立。
障壁画は南側3室は狩野探幽、北側3室は狩野洞雲の筆。
庫裏-承応2年(1653年)の建立。
他に小方丈、浴室、経蔵などがある(以上の建造物はすべて重要文化財)。
塔頭(たっちゅう)寺院
妙心寺の塔頭は48箇院に及び、うち山内塔頭38箇院、境外塔頭は石庭で著名な龍安寺を含め10箇院を数える。
山内塔頭
龍泉庵
衡梅院
長興院
養源院
東海庵- 庭園は史跡・名勝に指定。
方丈前庭は築地塀で囲まれた一画に白砂を敷き詰め、帚目を付けただけのシンプルな庭。
書院南庭は白砂に7個の石を並べた抽象的な庭である。
玉鳳院- 関山慧玄像を祀る開山堂(別名微笑庵、重文)は室町時代の建築。
庭園は史跡・名勝に指定
東林院- 枯山水庭園、水琴窟が見られる。
沙羅双樹の花が咲く時期の特別公開で知られる
大心院
雑華院
福寿院
如是院
海福院-福島正則開基。
夬室智文開祖。
公家町尻家菩提寺。
養徳院
大雄院
桂春院- 杉苔とツツジの植え込みが見どころの庭園は史跡・名勝に指定
蟠桃院
長慶院
雲祥院
光国院
隣華院- 方丈襖絵「水墨山水図」長谷川等伯筆(国の重要文化財)、狩野永岳筆襖絵を所有
智勝院
麟祥院
大通院
天球院
金牛院
寿聖院
天祥院
春光院(しゅんこういん)-重要文化財の南蛮寺(なんばんじ)の鐘と狩野永岳の方丈襖絵を所有する
徳雲院
大龍院
大法院
玉龍院
通玄院
霊雲院- 枯山水庭園は史跡・名勝に指定
聖沢院
天授院
退蔵院- 日本の初期水墨画の代表作である如拙(じょせつ)筆の国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)を所有する(京都国立博物館に寄託)。
慈雲院
以上のうち常時一般公開しているのは退蔵院、桂春院、大心院のみ
境外塔頭
慧照院(右京区花園坤南町)
龍華院(右京区花園坤南町)
春浦院(右京区花園坤南町)
金台寺(北区等持院西町)
仙寿院(右京区竜安寺衣笠下町)
多福院(右京区竜安寺衣笠下町)
龍安寺(右京区竜安寺御陵ノ下町)
霊光院(右京区竜安寺御陵ノ下町)
大珠院(右京区竜安寺御陵ノ下町)
西源院(右京区竜安寺御陵ノ下町)
国宝
梵鐘-戊戌(つちのえいぬ)年、つまり西暦698年にあたる年の銘文がある、日本最古の紀年銘鐘。
九州方面で制作されたものである。
妙心寺には2個所(法堂の北西と仏殿の南東)あるが、前者の鐘楼にかかっていたもの(現在は法堂に移動)。
音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うことから古来「黄鐘調の鐘」として著名で、『徒然草』にもこの鐘のことが言及されている。
大燈国師墨蹟-宗峰妙超(大燈国師)が弟子の関山慧玄(妙心寺開山)に「関山」の号を与えたときに書き与えたもの。
大燈国師墨蹟-宗峰妙超が関山慧玄に与えた「印可状」(自分の法を継いだというお墨付き)である。
重要文化財
建造物
仏殿(附廊下)
法堂(附廊下)
大方丈
三門
浴室
経蔵
勅使門
南門
玄関
寝堂
小方丈(附廊下)
庫裏(附廊下)
北門
美術工芸品
絹本著色花園天皇像 後花園帝の賛あり
絹本著色虚堂和尚像・絹本著色大応国師像・絹本著色大燈国師像(元徳二年の自賛あり)
絹本著色十六羅漢像 16幅
絹本著色六代祖師像 6幅
絹本墨画普賢菩薩像
紙本著色三酸及寒山拾得図(六曲屏風)・紙本著色琴棋書画図(六曲屏風)・紙本著色花卉図(六曲屏風)(以上海北友松筆)・紙本著色呂望及商山四皓図(六曲屏風)・紙本著色厳子陵及虎渓三笑図(二曲屏風)
紙本著色竜虎図 六曲屏風
紙本墨画達磨・豊干・布袋像
紙本墨画瀟湘八景図 六曲屏風
倶利迦羅竜守刀 中身銘尚宗 豊臣棄丸所用
小形武具 甲2領、冑1頭、鞍1脊 豊臣棄丸所用
関山慧玄墨蹟 授宗弼証状 延文元年仲春日
花園天皇宸翰消息(三月廿二日)
花園天皇宸翰書状(貞和三年七月廿九日)
花園天皇宸翰置文(貞和三年七月廿二日 関山上人宛)
後奈良天皇宸翰徽号勅書(弘治三年三月十二日)
後奈良天皇宸翰置文(弘治三年八月九日 妙心寺方丈宛)
後西天皇宸翰徽号勅書(万治元年十二月十二日)
東山天皇宸翰徽号勅書(宝永三年八月十二日)
桃園天皇宸翰光徳勝妙国師号勅書(宝暦六年十月十二日)
光格天皇宸翰徽号勅書(文化二年三月十二日)
孝明天皇宸翰徽号勅書(安政二年三月十二日)
焼失した文化財
鐘楼 - 旧重要文化財。
昭和37年(1962年)9月1日、放火により焼失。
史跡・名勝
方丈庭園
年中行事
1月1日 修二会(しゅにえ)<正月行事>
2月7日 開山降誕会(ごうたんえ)
2月15日 涅槃会(ねはんえ)
3月彼岸中日 祠堂斎(しどうさい)
4月8日 釈尊降誕会(ごうたんえ)
5月18日 方丈懺法(せんぽう)
6月18日 山門懺法
7月15日 山門施餓鬼(せがき)
8月9日・10日 お精霊(しょうらい)迎え
10月5日 達磨忌
11月3日・4日 曝涼(ばくりょう)<寺宝の虫干し及び一般公開>
11月11日 花園法皇忌
12月8日 成道会(じょうどうえ)
12月12日 開山会
アクセス
南門 JR嵯峨野線(山陰本線)「花園駅 (京都府)」下車、京都市営バス・京都バス「妙心寺前」下車
北門 京福電気鉄道京福電気鉄道北野線「妙心寺駅」下車、京都市営バス・京都バス「妙心寺北門前」下車