小川月神社 (Ogawatsuki-jinja Shrine)

小川月神社(おがわつきじんじゃ)は、京都府亀岡市馬路町に鎮座する神社。
名神大社とされ、近代社格制度は村社。

社名

当神社は大堰川の左岸(東側)に鎮座している。
大堰川を挟んだ西方、千代川町に小川という字名があり、『和名抄』に見える「桑田郡小川郷」の遺称地であるとされている。
そのため、かつての大堰川は当神社の東を流れ、当神社一帯も小川郷に含まれており、郷名を冠する神社名となったと見られている。
明治以前には「月読(神)社」を称し、現在でも「つきよみさん」と呼ばれて親しまれている。

祭神

月読命

大堰川沿いには他にも松尾神社があるので、下流の松尾大社の摂社月読神社 (京都市)との関係が指摘されている。

由緒

上述松尾大社との関係から、大堰川を遡る形で秦氏による開発が進み、それにともなって創祀されたと考えられている。
しかし、氏子総代保管の「丹波国桑田郡小川月神社之事」という年不明の文書に、伊勢神宮が丹後国与謝郡に遷座した時の末社であるとも、丹波国に鎮座していた時の末社であるともし、「神代よりの旧地なり」と記している。
また、出雲神社(現亀岡市千歳町の出雲大神宮)の鎮座よりも古く、同神社と同等の神社で桑田郡の「第二之大社也」とも記す。
『神社明細帳』によれば、応仁(1467-69年)に大堰川の洪水によって社地を流失し、以後小祠として祀られるようになったとある。
前掲文書にも応永(1394-1428年)の洪水を記し、或いは兵乱によって廃弊して以後「境内狭小にして祭祀等無之」とも記す。
いずれにせよ、大堰川の流路変更などで被災、退転したと考えられている。
なお、大堰川対岸の千代川町小川にも同じく月読命を祀る月読神社が存在する。
これは大堰川の流路変更によって当神社と隔てられた人々が新しく氏神として当神社から勧請したものであると見られている。

明治になって村社とされたが、明治10年(1877年)に式内名神大社に比定され、同年6月の京都府名義の確認書に「月読社 延喜式内小川月神社ニ相違無之候」とある。

神階

当神社が確かに式内社であれば、貞観 (日本)元年(859年)正月27日に従五位下から従五位上に昇叙された記録が残る(『日本三代実録』)。

祭祀

10月16日の例祭に、1年間に誕生した子供全員の祈祷をする慣例があり、由緒は不明ながらも地域全体で子供たちの無事な成長を願うものである。

祀職

前掲氏子総代文書に「貞村守護してより春秋ニ不絶祭祀す」とある。
社伝によれば、北条時頼が廻国の途中に参拝し、家臣の人見次郎貞村という者に神社の守護を命じ、長らく人見家が30代にわたって奉仕してきたが、その後氏子総代が維持経営にあたるようになったという(境内案内看板より)。

社殿

覆屋内の流造の本殿と、方1間妻入瓦葺の拝殿とのみからなり、拝殿は年不明ながら出雲大神宮より遷されたものであると伝える。

[English Translation]