平野神社 (Hirano-jinja Shrine)

平野神社(ひらのじんじゃ)は、京都府京都市北区 (京都市)にある神社である。
式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。

祭神
祭神は、以下の4柱である。

今木神(第一殿) -- 染織・手芸・衣の神
久度神(第二殿) -- 竈・台所・食事の神
古開神(第三殿) -- 斉火の神
比売神(第四殿) -- 光仁天皇の皇后である高野新笠のこととされる

「今木」は元義を「今来」であり、百済からの渡来人の祭神であったことを示している。
高野新笠も渡来人であった。

歴史
延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まる。
元々今木神は平城京の田村後宮に、久度神・古開神は大和国平群郡の式内・久度神社に祀られていた。
比売神は承和 (日本)年間より祀られるようになったものである。

『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)、今木神に従二位、久度神・古開神に従四位、比売神に正五位の神階が授けられ、その中で当社のことを「平野神宮」と記述している。
その後も神階は昇って行き、貞観 (日本)元年(859年)には今木神に最高位の正一位の神階が授けられている。
延喜式神名帳には「山城国葛野郡 平野祭神四社」と記載され、名神大社に列していた(2005年まで鳥居の扁額には「平野大社」と銘記されていた)。
また、祭神について「平野大神」「皇大御神」という称号も使用されていた。

例大祭の平野祭には皇太子が奉幣する定めになっていた。
また歴代天皇の行幸も円融天皇から後醍醐天皇までの17帝21回を記録するなど天皇家の崇敬も厚くそれに伴い、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公家の氏神にもなった。
中世には二十二社の一社となった。

神紋は桜で、今も桜の名所として名高い。
平安時代の中ごろ花山天皇によって境内に数千本の桜が植えられたのが起源で、寛和元年(985年)4月10日に臨時勅祭が開かれ、平野桜祭りとして今に残る。

応仁の乱をはじめたびたび社殿が焼失し、そのたびに再建を繰り返し、天文法華の乱によって、社殿および社領は完全に荒廃したといわれる。

1871年(明治4年)に官幣大社に指定された。

施設
現在の社殿は江戸時代寛永年間の造営である。
一間社春日造の社殿を4つ並べ、2殿づつを合いの間で連結するという独特の様式で、「比翼春日造」とも、社名より「平野造」とも呼ばれる。
重要文化財に指定されている。

[English Translation]