本圀寺 (Honkoku-ji Temple)

本圀寺(ほんこくじ)は、京都府京都市山科区にある日蓮宗の大本山。
山号は大光山。
旧門末寺約700を有する六条門流の総本山で東の身延山に対し「西の総本山」と呼ばれている。
洛中法華21ヶ寺のひとつ。

歴史

建長5年(1253年)8月 - 鎌倉松葉ヶ谷の法華堂を前身として創建する。

弘長3年(1263年) - 大光無量山本国土妙寺と改める。

貞和元年(1345年)5月15日 - 光厳天皇の勅諚により、上杉氏から出家した日静が京都六条通に移転させ、本國寺と改称。
御所の坤(裏鬼門:ひつじさる)に配置された皇室鎮護の霊場。

天文 (元号)5年(1536年) - 天文法華の乱で焼失し、堺の成就寺に避難する。

天文16年(1547年) - 帰洛を許され、京都六条に再建する。

永禄11年(1568年) - 織田信長の支持によって再上洛を果たした足利義昭の仮居所(六条御所)となる。

永禄12年(1569年) - 義昭が三好三人衆の攻撃を受け(本國寺の変)、防衛上より堅固な二条御所(二条城)を信長が普請し、義昭をそちらに移す。

天正19年(1591年) - 西本願寺造立のため、寺領を割譲する。

貞享2年(1685年) - 徳川光圀から圀の一字を下され、本圀寺となる。

天明8年(1788年) - 天明の大火により焼失する。

文久3年(1863年) - 宿泊中の鳥取藩側用人・黒部権之介ら、河田景与ら因幡二十士に襲われ、暗殺される。
(本圀寺事件)

大正10年- 子守学校設立(現在の学校法人明徳学園)

昭和46年(1971年) - 宗門特選中興63世伊藤日瑞貫首代に現在地に移転

現住は102世吉田日厚貫首

文化財

重要文化財

経蔵 - 慶長12年(1607年)建立

寺宝

立像釈迦像(三箇の霊宝)
三赦免状(三箇の霊宝)
立正安国論(三箇の霊宝)
歴代天皇の御綸旨
日蓮真筆御本尊六幅
真生廟

所在地

京都府京都市山科区御陵大岩6

墓地は現在も堀川の旧地にある。

塔頭は現在も堀川の旧地に十六院残っている(松林院、瑞雲院、一音院、詮量院、了円院、勧持院、松陽院、林昌院、本妙院、智妙院、本實院、真如院、了光院、智了院、智光院、久成院)。

交通アクセス

京都市営地下鉄御陵駅から徒歩15分。

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