松尾寺 (大和郡山市) (Matsuo-dera Temple (Yamatokoriyama City))

山号 松尾山または補陀洛山
宗派 真言宗醍醐派
寺格 別格本山
本尊 千手観音
創建年 伝・養老2年(718年)
開基 伝・舎人親王
正式名
別称 まつのおでら、まつのおさん
札所等
文化財 本堂、木造大黒天立像ほか(国の重要文化財)木造千手観音立像(奈良県文化財)

松尾寺 (まつおでら)は奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。
山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。
本尊は千手観音。
開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。
日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。
境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。
なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。

歴史

矢田丘陵の南端近くにある松尾山 (奈良県)の中腹に位置する山寺である。
慶長11年(1606年)成立の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、当寺は天武天皇の皇子・舎人親王が養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。
なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する東明寺(大和郡山市矢田町)も舎人親王の開基を伝える。

『続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧についての言及がある。
また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であることは間違いないと思われる。

中世以降は興福寺一乗院の支配下に属するとともに、法隆寺の別院とも称された。
(松尾寺は法隆寺の北方に位置し、法隆寺西院伽藍の背後から松尾山へ至る参詣道がある。)

現存する本堂は建治3年(1277年)に焼失した後、建武4年(1337年)に再建されたものであり、本尊の千手観音立像は鎌倉時代の作である。
なお、本堂の解体修理中の昭和28年(1953年)、屋根裏から焼損した仏像の残欠が発見され、これは建治3年の火災以前に祀られていた旧本尊像ではないかと推定されている。

松尾寺は室町時代以降は修験道当山派の拠点としても栄えた。
「当山派」とは、吉野の金峯山を主な修行の場とし、醍醐寺三宝院を本山とする真言宗系の修験道である。
また、聖護院門跡を本山とする「本山派」に対する呼称である。
当山派では山伏の最高位である正大先達(しょうだいせんだつ)を中心として「正大先達衆」という組織を構成したが、松尾寺には当山派正大先達衆に関わる多くの古文書が残されている。

建造物

本堂(重要文化財)

建武 (日本)4年・延元2年(1337年)に再建された中世の大型仏堂の貴重な遺構で、和様建築を基調とした比較的簡素な建築意匠ではある。
また、大仏様の様式も取りいれられ、新和様と呼ばれる。

三重塔

本堂などのある中心伽藍より一段高い位置に立つ。
現在の塔は明治21年(1888年)の再建であるが、一部に古材が使用されている。

他に、修験道の開祖・役小角の像を安置する行者堂(役行者霊蹟札所)、大黒天像を安置する七福神堂、阿弥陀堂などがある。

重要文化財

本堂

木造大黒天立像

鎌倉時代作。
後世の福神としての大黒天ではなく、インドの武神マハーカーラの面影を残した厳しい表情の大黒天像で、日本三大黒のひとつとして知られる。

木造十一面観音立像-平安時代後期(奈良国立博物館寄託)

絹本著色釈迦八大菩薩像-高麗時代(奈良国立博物館寄託)

絹本著色阿弥陀聖聚来迎図(奈良国立博物館寄託)

奈良県指定文化財

木造千手観音立像

本堂に本尊として安置。
厄除観音と呼ばれ信仰を集める。
鎌倉時代の作。
(秘仏のため毎年11月3日のみ開扉)

金銅金具装山伏笈(奈良国立博物館寄託)

アクセス

JR大和路線大和小泉駅より奈良交通バス(矢田山町行)「松尾寺口」下車、徒歩30分

近鉄橿原線近鉄郡山駅より奈良交通バス(泉原町行)バス「泉原町」下車、徒歩40分

[English Translation]