榎本神社 (Enomoto-jinja Shrine)
榎本神社(えのもとじんじゃ)は、奈良県奈良市にある春日大社の境内摂社である。
式内社。
春日大社本殿廻廊の西南隅に春日造の小さな社殿が設けられている。
祭神
現在の祭神はサルタヒコとされているが、中世までは巨勢姫明神という女神であるとされていた。
寛文3年(1603年)の文献に猿田彦大神とある。
延喜式神名帳には「大和国添上郡 春日神社」と記載されており(現在の春日大社は「春日祭神」と記載)、元々の神名は「春日神」ということになる。
榎本神社の祭神は当地の地主神であり、春日大社が春日野に創建される以前から、この地を拠点としていた春日氏によって祀られていた神であるとされる。
歴史
延喜式神名帳には「春日神社」と記載される。
「榎本」の名の初出は、応徳元年(1084年)の『皇代記断簡』の「榎本明神前」という記述である。
江戸時代には「榎本社」と呼ばれていたが、明治9年に「式内春日神社」と改称した。
伝承
榎本神社については、次のような土地交換説話がある。
藤原京が都だった頃、武甕槌命は藤原京の東方の阿倍山に鎮座していた。
春日野一帯の土地を所有する榎本の神が阿倍山の武甕槌命の元を訪ねて「私が住んでいる春日野と、あなたが住んでいる阿倍山を交換してほしい」と相談し、武甕槌命はそれに応じた。
ところが、間もなく平城京への遷都が行われ、阿倍山に移った榎本の神の元には参拝者が少なくなり、榎本の神は貧乏になってしまった。
困った榎本の神は武甕槌命に助けを求め、武甕槌命は自分の社(春日大社)のそばに社を建ててそこに住むように言った。
これが今日の榎本神社であるという。
この話には以下のような別の説もあり、俗に「つんぼ春日に土地三尺借りる」と呼ばれる。
武甕槌命は春日野一帯に広大な神地を構えようと一計を案じ、地主である榎本の神に「この土地を地下三尺だけ譲ってほしい」と言った。
榎本の神は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず、「三尺くらいなら」と承諾してしまった。
武甕槌命はすぐさま、榎本の神が所有する広大な土地に囲いをした。
榎本の神が「話が違う」と抗議すると、武甕槌命は「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかっただけでしょう。
約束通り、境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません。
あなたは住む所がなくては困るでしょうから、私の近くに住んで下さい」と言ったので、
榎本の神は春日大社本殿のすぐそばに住むようになった。
これが今日の榎本神社であるという。
いずれにしても、榎本神社の祭神がこの土地の元々の神と考えられていたということである。
明治時代までは、春日大社の参詣者は、まず榎本神社に参拝し、柱を握り拳で何度も叩きながら(榎本の神は耳が遠いので)「春日さん、お参りました」などと言い、榎本神社の祠の周りを廻った後に本殿に参るという慣習があった。