神泉苑 (Shinsen-en Temple)

神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。
本尊は聖観音。
二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。

歴史

延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。
当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北400メートル、東西200メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。

史料に初めてその名が見られるのは「日本紀略」の記事であり、延暦19年(800年)7月19日(旧暦)、桓武天皇が行幸したという内容である。
延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。

神泉苑には竜神が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったという。

中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。

伝承では源義経と静御前が出会った場と言われ、京都市の東西に伸びる通りの一つ「御池通」の名前の由来であるとの説もある(異説あり)。
二条城の南(押小路堀川東入ル)には昔の神泉苑の東端を示す石碑がある。
これは京都市営地下鉄東西線に関わる工事の際に判明したものである。

京都新聞は戦時中、1面コラムの名前を「神泉」としていた。
おそらく神泉苑に由来すると思われる。

文化財

木造不動明王坐像(重要文化財)

境内は国の史跡に指定されている。

年中行事

例年、5月1日から5月4日にかけて、苑内の狂言堂で大念仏狂言が催される。
京都では、壬生寺、清凉寺、引接寺 (京都市)(千本閻魔堂)と並ぶ念仏狂言の寺である。

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