豊受大神社 (Toyuke-daijinja Shrine)
豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町に鎮座する神社。
近代社格制度は府社。
元伊勢の伝承を有す。
社名
豊受大神宮の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称される。
祭神
豊受姫神を祭神に、日子番能邇邇芸尊、天児屋根命、天太玉命を相殿に祀る。
由緒
延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇が天照大神の夢託を蒙り、御食津神として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記す。
それに基づいて当神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるといい(『丹後風土記』)、或いは、元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるともいう(『加佐郡誌』)。
また、それとは別に、用明天皇の第3皇子である麻呂子親王が当地の鬼を退治するに際して、内宮(現皇大神社 (福知山市))とともに勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』)。
近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には明暦2年(1656年)に宮津藩京極高国が将軍徳川家綱の疱瘡平癒を祈願して社殿を造営した(社蔵棟札)。
延宝5年(1677年)に同永井尚長が4石 (単位)6斗4升2合の社領を寄せ、以後藩家は変わりながらも歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けたという。
昭和5年(1930年)府社に列し、戦後は神社本庁に参加している。
社殿
古来60年に1度の式年遷宮が行われていたというが、現在の本殿は明治7年(1874年)の造替にかかるものである。
桁行3間梁間2間の神明造茅葺で、外削ぎの千木を持ち、棟に鰹木を置く。
その他、拝殿、41社の境内社、寄棟造柿葺の神楽殿がある。
境内社
拝殿の左右に多賀神社と土之神社、本殿左後方に月読宮、右後方に風之宮が鎮座し、この4社を別宮とする。
本殿を囲む形で37社の末社がコの字形に配置される。
当神社には御師的な役割をはたす37軒の社家があり、37社の末社はそれぞれの社家が1社ずつ祀っていたという。