龍源院 (Ryogen-in Temple)

龍源院(りょうげんいん)は京都府京都市北区 (京都市)紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)である。
大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされている。

歴史

文亀2年(1502年)に東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登国の畠山義元・豊後国の大友義長らが創建。
明治の初めに神仏分離により大阪・住吉神社内の慈恩寺と岐阜・高山城主だった金森長近が大徳寺内に建立した金竜院を合併した。

寺号の由来

大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の「龍」と中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承する松源一脈の「源」の2文字を採ったものである。

建造物

本堂(方丈、重要文化財)
室町時代の永正14年(1517年)頃に建立された一重入母屋造・檜皮葺の建物。
日本の方丈建築としては古例の一つである。
室中(しっちゅう)襖絵の龍図は、作者や制作年代は不明だが,桃山~江戸時代の作といわれている。

玄関(重要文化財)
本堂(方丈)へと至る切妻造・檜皮葺の玄関で、本堂と同時代に建立された。

表門(重要文化財)
切妻造・桧皮葺の四脚門で、方丈・唐門と同時代に建立された。

開祖堂
開祖・東渓禅師の塔所となっている一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、南北朝・鎌倉・室町初期時代の唐様式の粋を取り入れた昭和の代表作である。

庭園

東滴壺(とうてきこ)
昭和35年(1960年)に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。

一枝坦(いっしだん)
東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名づけられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。

龍吟庭(りょうぎんてい)
方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し,青々とした杉苔は洋々たる大海を表わす。

滹沱庭(こだてい)
宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭で、阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれる。

文化財

重要文化財
本堂(附玄関)
表門
木造釈迦如来坐像
龍源院の創建より古い鎌倉時代の作で、建長2年(1250年)、行心作の銘がある。
京都八釈迦のひとつに数えられる。

その他の文化財
猿猴図
2幅で一対となっている掛幅で、長谷川等伯が描いたものと伝わる。

達磨図
中国禅宗の祖である達磨を描いたもので、徳川幕府の御用絵師だった狩野探幽が描いた。

種子島銃
天正11年(1583年)の銘により日本最古の種子島銃といわれる。

四方蒔絵碁盤・碁筒
豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝わる。

アクセス

JR京都駅より京都市バス・大徳寺前(約30分)下車、徒歩

[English Translation]