国分寺 (Provincial Temples)
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各令制国に建立を命じた寺院。
正式名称は、国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)である。
概要
各国には国分寺と国分尼寺が一つずつ、国府のそばに置かれた。
多くの場合、国庁とともにその国の最大の建築物であった。
大和国の東大寺、法華寺は総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺、国分尼寺の総本山と位置づけられた。
律令体制が弛緩し、官による財政支持がなくなると、国分寺・国分尼寺の多くは廃れた。
ただし、中世以後もかなりの数の国分寺は、当初の国分寺とは異なる宗派あるいは性格を持った寺院として存置し続けたことが明らかになっており、あるいは後世において再興されるなどして、現在まで維持しているところもある。
また、かつての国分寺近くの寺で国分寺の遺品を保存していることがある。
国分尼寺も同様だが、復興を受けなかったところが多い。
国分寺の一覧
寺院名、本尊、山号・院号、宗派は現在のものである。
国分尼寺の一覧
※記載の無い国は未詳。