源九郎稲荷神社 (Genkuroinari-jinja Shrine)
源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)とは、近鉄郡山駅の南西約500Mに鎮座する、源九郎狐や綿帽子を買った狐の伝説で有名な神社である。
童謡『やまとの源九郎さん』に歌われている場所であり、地元では、「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。
小さな稲荷であるが、日本三大稲荷の一つに数えられ、北向きの本殿に『白狐源九郎』が祀られている。
五穀豊穣・商売繁盛の御利益があり、4月の第一日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く『源九郎稲荷春季大祭』が行なわれる。
由緒
源義経が兄源頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっている。
翁の姿をした源九郎狐が、長安寺村の宝譽という僧の夢枕に立ち、郡山城に自分を祀ってくれたら、城の守護神になろう、と告げた。
宝譽は、豊臣秀長にこのことを告げ、城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。
享保4年(1719年)、現在地に遷座。
大正14年、現社殿が完成している。
伝説
忠臣狐伝説
義経が兄頼朝に追われ、吉野山まで逃げる道中、佐藤忠信に化けた白狐が、静御前を守り通した。
義経はその白狐の忠義に感服した。
狐の意中の物は、親の皮で出来た御前の鼓であったが、それを知った義経は、自分の名を与えて「源九郎」と名乗ることを許した。
妖刀子狐丸伝説
菅田明神の境内に住む小狐が、近くの淵で村人を苦しめている大蛇を源九郎狐の加勢を得て退治した。
大蛇の尾から宝剣が見つかり、村人はこの宝剣を「小狐丸」と名づけ、天理の石上神宮へ奉納した。
元和の鎮火伝説
元和元年(1615)、大野主馬による夜襲焼討をうけた際、城下の中心へと火が迫ってきたのを見た城主豊臣秀長が、源九郎狐に祈願をした。
すると突然大雨が降り、大火を免れた。
綿帽子を買った狐伝説
大和郡山の柳三丁目に帽子屋があり、ある冬の夜、婦人が綿帽子を三つ買いに来た。
代金を源九郎神社へ取りに来て欲しいと言われたが、神社では、誰も心当たりがないという。
主人が不審に思っていると、境内から、綿帽子をかぶった三匹の小狐が現れた。
交通アクセス
近鉄橿原線「近鉄郡山」駅下車 徒歩7分。
洞泉寺の脇に鎮座。