葛木二上神社 (Katsuragi Futakami-jinja Shrine)

葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ、かつらぎにじょうじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山 (奈良県・大阪府)雄岳山頂付近にある神社である。
式内社で、旧社格は郷社。
二上神社、葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)とも呼ばれる。

祭神
豊布都霊(とよふつのみたま)神と国魂を祀る。
豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。
豊布都霊神については布都御魂の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。
また、タケミカヅチと同神とされる。
大国魂神は国津神の大将軍とされる。

『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。
元々は二上山の2つの山頂・雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。

歴史
創建の年代等は不詳である。
二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。
文献の初出は、『日本三代実録』の貞観 (日本)元年(859年)正月27日条、当社に従五位の神階を授けるという記述である。
延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されている。

現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。
当社との関係は不明。

近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。
明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。

境内
現在の社殿は、1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。
本社の東側に大津皇子の墓がある。

山麓の葛木倭文坐天羽雷命神社(倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。

祭事
旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 幟がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。
現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。

その他
境内(雄岳山頂)に立ち入るには美化保存協力金200円を神社に支払う必要がある。

外照リンク
(延喜式神社の調査)
(神奈備)

[English Translation]