西芳寺 (Saiho-ji Temple)

西芳寺 (さいほうじ)は、京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院。
一般には通称の苔寺で知られる。
山号を洪隠山と称する。
本尊は阿弥陀如来、開山は行基、中興開山は夢窓疎石である。
「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

起源と歴史

寺伝では今、西芳寺のある場所は聖徳太子の別荘であったものを、奈良時代の僧・行基が寺にしたもので、当初は「西方寺」と称し、阿弥陀如来を本尊とする法相宗の寺であったという。
その後、空海、法然などが入寺したと寺伝には伝える。
こうした寺伝は額面どおり受け取ることはできないが、何らかの前身寺院があったものと思われる。

近くにある松尾大社の宮司藤原親秀(ちかひで)は、暦応2年(1339年)、当時の高僧であり作庭の名手でもあった夢窓疎石(夢窓国師)を招請して、すっかり荒れ果てていたこの寺を禅寺として再興した。
もとの寺名「西方寺」は、西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来を祀る寺にふさわしい名称であるが、夢窓疎石はこれを「西芳寺」と改めた。
「西芳」は「祖師西来」「五葉聯芳」という、禅宗の初祖達磨に関する句に由来するという。

西芳寺は応仁の乱(1467-1477)で焼失。
江戸時代には2度にわたって洪水にも見舞われて荒廃した。
元は枯山水であった荒廃した庭園が苔でおおわれるのは江戸時代末期に入ってからのようである。
すぐそばに川が流れる谷間、という地理的要因が大きい、とされる。

西芳寺はかつては誰でも参観できる観光寺院であったが、1977年からは一般の拝観を中止し、往復はがきによる事前申し込み制となっている。
単なる観光や見学ではなく写経などの宗教行事に参加することが条件となっている。

伽藍

境内東側は黄金池を中心とした苔の庭園であり、東側には本堂(西来堂)、書院、三重納経塔などがある。
庭園内には湘南亭(重文)、少庵堂、潭北亭(たんほくてい)の3つの茶室がある。
境内北側には枯山水の石組みがあり、開山堂である指東庵が建っている。

このほか境内には高浜虚子の句碑や大佛次郎文学碑などがある。

本堂(西来堂)- 1969年の建築で、本尊阿弥陀如来を安置する。
襖絵は堂本印象の筆である。

三重納経塔 - 1978年建立の三重塔で、信者の写経を納めている。
本尊は薬師如来である。

湘南亭(重要文化財)- 夢窓疎石の時代に建てられ、その後荒廃していたが、千利休の次男・千少庵によって再興されたと伝えられる茶室。
板貼りの露台(バルコニー)をもつ。
杮葺、L字形の間取りで、池に面して広縁を設ける。
四畳台目の主室は、亭主床、客座の中央に火灯窓、躙口はなく貴人口のみ、北側は広縁に連なり林泉を見渡すことができ、明るく開放的な茶室である。
幕末には岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られる。

少庵堂 - 千少庵の木像を祀る。
1920年の建築。

潭北亭-1928年、陶芸家の真清水蔵六(ましみずぞうろく)から寄進された茶室である。
「湘南亭」「潭北亭」などの建物の名勝は中国の禅書『碧巌録』に出てくる句にちなむものである。

文化財

西芳寺庭園(特別名勝・史跡)-夢窓疎石の作庭で、上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の2つから成っていた。
境内北方には上段の枯山水庭園の石組みが残り、この部分には夢窓疎石当時の面影が残っていると思われる。

今日、西芳寺庭園としてよく知られるのは苔の庭で、木立の中にある黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園である。

山麓に位置する地形の庭園構成を池と、その上の山の斜面を利用した禅堂の庭とに分けまたこの禅堂より山に登る道があって、頂上に縮遠亭という休憩所があった。
頂上からは桂川周辺を展望しようとし、池辺の2層の舎利殿からは庭園を見下ろそうとする構想で、両者は同一の考えから出た、立体的な構想力を示したものであるとされる。

池には朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、小島には白砂が敷かれ松が植えられ、亭があり、池の3面の花木は2段に刈り込まれていた。
池の周囲を埋め尽くす100種類以上といわれる苔は夢窓疎石の時代からあったものではなく、今のような苔庭になったのは江戸時代も末期のことといわれる。

池の周辺には2層の舎利のほかに、釣寂庵、湘南亭、潭北亭、貯清寮、邀月橋、合同船があった。
広さに比して建築的要素の多い庭といえるがこの邀月橋は亭をもった亭橋で、これを渡ると長鯨にのって大海に浮かんだようだといわれた。
向上関より石段を上がった所に指東庵という禅堂があり、この山腹に巨石を組み、滝を象徴している。

絹本著色夢窓疎石像(重要文化財)

[English Translation]