護国神社 (Gokoku-jinja Shrine)

護国神社(ごこくじんじゃ)は、日本の各県に建立されている、その県出身の戦死者・自衛隊殉職者などを、日本国に殉じた英霊として祀る神社。

概説
明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939年(昭和14年)の内務省 (日本)によって一斉に改称したものである。
おおむね各府県につき1社を府県社に相当する内務大臣指定護国神社(指定護国神社)とし、それ以外を村社に相当する指定外護国神社とした。
敗戦後、護国神社は軍国主義施設と見なされ、存続を図るために名称から「護国神社」の文字を外して地名などを元に改称を余儀なくされた。
サンフランシスコ平和条約を締結し、日本が独立を回復すると、元の社名に戻した。
唯一、青森縣護国神社だけは改称せず「護国神社」を守り通した。
戦後、いくつかの指定護国神社は神社本庁の別表神社となった。

「招魂社」の「招魂」は臨時の、一時的な祭祀であるが、「社」は恒久施設である。
名称に矛盾があるために改称された。

指定護国神社は、北海道は3社、兵庫県・広島県・島根県・岐阜県では2社というように、一都道府県内に複数存在するところもある。
(岐阜県の飛騨護国神社は主要護国神社の1社ではあるが、指定外となっている。)
これはかつての令制国や地域意識が強く残っていた地域では同じ県出身者でも違う「国」や地域出身の戦没者を受け入れない例があり、それが尾を引いているからだと言われている(例えば広島県の場合、かつての備後国と安芸国にそれぞれ1社存在する)。
建設中に戦災で焼失した神奈川県(戦後、横浜市戦没者慰霊塔が建てられた)や、東京都(戦前より東京都慰霊堂があり、仏式で祭祀が行われる)と、存在しない都県もある。
(東京都には別途靖國神社が存在する。)

護国神社の祭神は分祀されたのではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っているため、公式には「靖國神社とは本社分社の関係にはない」とされている。
しかし、共に英霊を祀る靖國神社と護国神社とは深い関わりを持ち交流がある。
主要な護国神社52社で組織する全國護國神社會(旧浦安会)は靖國神社と連携し、英霊顕彰の為の様々な活動を行っている。

1960年(昭和35年)、全国の護国神社52社に対して天皇・皇后より幣帛が下賜されて以降、終戦から数えて10年毎に幣帛の下賜が続けられている。

靖國神社も護国神社と同様に、戦死者を英霊として祀る神社であり、やはり招魂社を改称したものである。
しかし、太平洋戦争当時まで日本人とされていた朝鮮民族、台湾人を含め日本全国どこの出身であっても祀られる対象となる点が異なっている。

これまで各地の護国神社を支えてきたのは戦没者の遺族会や戦友会であったが、高齢化とともにその数が激減している。
財政的危機に見舞われる社が増えるのではないかと見られている。

論争
戦後、軍人にかわり殉職した自衛官も護国神社に祀られるようになり、合祀申請は自衛隊の地方連絡部と社団法人隊友会により行われるようになった。
が、戦前と同様合祀・合祀申請ともに遺族の同意を一切求めず行われるため、クリスチャンである殉職自衛官の妻が(他の遺族は全員賛成)、宗教的人格権を侵害されたとして損害賠償等を請求する事態に発展したことがある。
(自衛官護国神社合祀事件・最大昭和57(オ)902号事件/判昭和63年6月1日/判例集第42巻5号277頁)

現在、護国神社はどちらかと言えば各地でひっそりと地味に存在している神社であり、靖國神社程には人々の関心が向けられることや政治論争に巻き込まれることが比較的少ない。
これには英霊顕彰に関する関心が靖國神社ばかりに集中していることを嘆く声もある反面、祀られている祭神にとって静かで平穏な環境を保つことができていると肯定的な意見もある。

全国の護国神社
「指定」は内務大臣指定護国神社、「別表」は神社本庁別表神社。

[English Translation]