奈良華族 (Nara Peerage)
奈良華族(ならかぞく)は、明治維新後に下記に述べるような特殊な事情によって公家社会に復帰し、そのために後に華族となることを得た家系及びその家系に属する人々を指す。
概要
王政復古後、明治は神道を日本固有の信仰として重視し、国学者勢力の意見を入れて神仏分離の方針を打ち出すことになる。
こうした潮流を敏感に察知した興福寺においていちはやく廃仏毀釈の動きが徹底されたことはつとに有名であるが、その一環として門跡・院家として興福寺の僧職にあった公家出身の僧侶たちが一斉に還俗するという事態が起こった。
新政府では彼らを公家として処遇し、明治2年(1868年)、堂上家格もしくは一代華族として彼らを華族に組入れ、明治17年(1884年)の爵位制度発足にあたっては「一新後新たに家を興したる者」として男爵の爵位を与えた。
これがいわゆる奈良華族である。
なお、奈良華族は藤原氏とそれ以外によって待遇に差があった。
還俗後、氏神であり興福寺と神仏習合されていた春日大社の神官に転じた藤原氏出身の者は、別家・独立との扱いを受けて堂上格として認められた。
それに対して、藤原氏以外の者は還俗後京都の実家に復帰したために最初一代華族として処遇され、後に永世華族に昇格したものである。