明治六大教育家 (Six great educators in the Meiji period)
明治六大教育家(めいじろくだいきょういくか)は、明治期に近代教育を普及するに当たって功績の大きかった6人を特別にまとめて称した称号。
明治40年(1907年)に帝國教育會、東京府教育會、東京市教育会が連合主催で、全国教育家大集会が東京蔵前高等工業学校の講堂で開催された。
六大教育家の追頌が行われた。
既に「帝國四大私塾」として特別に扱っていた評価の高かった私学を創立したという基準で4人を選出した。
その後学制改革をした2人を追加して6人とした。
故六大教育家追頌式という式典を実施した。
(そこ)から彼らを紹介する際には「明治の六大教育家の一人である」と付けることが多い。
ここで纏められている6人は以下の通り。
大木喬任文部卿として近代的な学制を制定
近藤真琴学校法人攻玉社学園を創立、主に数学・工学・航海術の分野で活躍
中村正直同人社を創立、西国立志編など多くの翻訳書を発刊した
新島襄学校法人同志社を創立、英語・キリスト教の分野で多くの逸材を教育
福澤諭吉学校法人慶應義塾を創立、法学・経済学を中心に幅広い思想家として著名
森有礼明六社の発起代表人、文部大臣として学制改革を実施
なお、東京に所在する攻玉塾、慶應義塾、同人社を特にまとめて「明治の三大塾」「三大義塾」と称することもある。
これも帝國教育会が大正から昭和初期に掛けてまとめた明治維新期の私塾に対する評価が基礎となっている。
ただし、当初の帝國教育会では「帝都三大義塾」と称していた。
それが大正期に入ると「明治帝國三大義塾」などと表記されるようになったという経緯がある。
なお、津田塾大学や学校法人二松学舎などを攻玉塾や同人社と交換して「三大塾」と称する事例が散見される。
だが、帝國教育会がこれらを三大塾として扱った文献はない。