栄典 (Eiten)
栄典(えいてん)は、国家や公共に対する功労者を表彰するために、国家が与える待遇・地位・称号などの総称。
また、その制度。
多くの場合名誉が国家に認定され表彰される形をとるが、中世に於ける位階や爵位等の様に特権や特別待遇がそれに附随する場合もある。
国家間の外交儀礼では勲章・爵位の有無や等級等により席順が変わっていた。
戦前の日本では宮中席次として10階級79種が定められていた。
日本の栄典
日本の近代に於ける栄典制度は主に位階・勲章・爵位が挙げられるが、他に麝香間祗候・錦鶏間祗候や宮中顧問官のように特別な官職につく例や元老と称される元勲優遇、内閣総理大臣・枢密院議長を経験した者になされる前官礼遇の様に待遇に関する物、勲章に準ずる賜杯(賞杯)、特に功績のあった臣下に賜る勅語・国葬が挙げられる。
栄典の授与は天皇の重要な権限であり、これらは何れも天皇が与える形式をとっている。
勲記に天皇の名も表示されない勲八等の様に下位のものであっても『賜る』と表現している。
大日本帝国憲法では天皇大権の一つで栄典大権といい、日本国憲法でも国事行為の一つと規定している。
また、天皇は関わらないものの1977年(昭和52年)に制定された国民栄誉賞や内閣総理大臣顕彰等も栄典の一種と言える。
変遷
日本の勲章制度は1875年(明治8年)4月10日に賞牌従軍牌制定ノ件(太政官布告第54号)が制定されたのに始まる。
この時制定された勲章が今日の旭日章の元となる。
1876年(明治9年)には菊花章が制定さる。
1881年(明治14年)12月褒章条例(明治14年太政官布告第63号)の公布により紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章が制定され褒章の授与が始まる。
1888年(明治21年)瑞宝章・宝冠章が制定される。
1890年(明治23年)には軍人専用の勲章である金鵄勲章が制定された。
以後も褒章の種類が追加される。
1937年(昭和12年)には文化勲章の授与が始まった。
終戦に伴い生存者の叙勲は停止されていたが、1964年(昭和39年)に叙勲を復活させた。
2003年(平成15年)には勲章制度が全面的に改正され、数字による等級を廃止し叙勲基準も見直した。
また、このときの議論で勲章と重複した制度であると批判があった褒章の廃止も検討されたが、据え置かれた。
表示
第二次世界大戦前の日本は階級社会であったことはよく知られているが、身分をあらわす為に位階勲等を並べて表示した。
公文書に於いて身分を表示する場合は以下のような規則に基づいた。
この方式は、国会における国会議員等物故時の弔詞において今なお踏襲されている。
表示順
補職
階級(陸軍大将・海軍大将のように軍における階級)
位階
勲等
功級(金鵄勲章の等級の事)
爵位
博士号
表示例
内閣総理大臣元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵医学博士 日本太郎
補職は官吏としての役職しか表示しない。
元帥陸軍大将の内、元帥は階級名ではなく称号だが、陸軍大将の前に冠して表示した。
例では従一位としたが、位階における最高位は正一位。
但し存命中は正一位になれない(死後、追贈されることはある)。
勲等では最高位が大勲位、最下位が勲八等である。
勲等勲章としては大勲位菊花大綬章や勲一等旭日大綬章という様に勲章の部分もあるが、勲章の名称はこの場合表示しない。
金鵄勲章は軍人・軍属にのみ与えられたのもの。
学位は表示しないこともある。
功級、爵位が廃止となった日本国憲法下の国会にあっても、博士号を除く残余の部分は国会議員等への弔詞に用いられる。
この場合、「元内閣総理大臣」のように元職が用いられたり、官吏の補職ではないが政党の役職(総裁など最高位のものに限る)が冠される例がある。
2003年(平成15年)11月3日以降の新制度下で数字表記の勲等のない勲章を授与された者について弔詞を贈る場合は、旧制度時代の「勲等のみで勲章は省略」という原則によらず「正三位旭日大綬章」のように位階に続けて勲章を表示する。
皇族(三后を除く)の場合
大勲位○仁親王、勲一等○子内親王、勲二等○子女王
○仁親王妃勲一等○子
歌会始での表示(1959年まで)、皇族の墓碑銘などで勲等を明示する場合は、いずれも本人の名の前に冠する(親王妃及び王妃にあっては夫たる皇族の名の前には冠さない)。