京都見廻役 (Kyoto Mimawariyaku (a post of Kyoto patrols))
京都見廻役(きょうとみまわりやく)は、幕末の京都の治安維持のために江戸幕府が置いた役職。
傘下に京都見廻組を置いた。
元治元年4月26日_(旧暦)設置、初代は浅尾藩蒔田広孝と旗本松平康正。
以後、堀親義(信濃飯田藩)・小笠原長遠(旗本)・岩田通徳(同)が任じられている。
役高5千石・役料3千俵で席次は大番頭次席。
配下には見廻組与頭(場所高300俵・御書院番次席)・見廻組勤方(場所高200俵・大番次席)がおり、その下に幕臣の次男・3男ら200名からなる京都見廻組がいた。
大政奉還後に徳川慶喜が二条城から大坂城に移る際に見廻役以下もその護衛として大坂に向かい、自然消滅した。