公人朝夕人 (Kunin-chojakunin)
公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)とは、江戸時代にあった役職の一つ。
世襲制。
概要
将軍の上洛・参内、日光社参の際、将軍が束帯すがたで排尿をおこないにくいとき、袴の脇から現在のポータブルトイレ、尿瓶(しびん)にあたる銅製の筒(尿筒、しとづつ)をさしこみ、排尿中ささえるのが仕事である。
名前の由来は、"朝夕臭い公務を果たす人"ということから。
道中は行列の二番にしたがう下部の左右にあって、警を唱える。
同朋頭支配で定員は1人、扶持高10人扶持。
土田家
土田家が、世襲で、鎌倉幕府4代将軍の藤原頼経の頃から将軍に仕え、足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉にも、仕えていた。
江戸時代に徳川家康の仕えたことが始まりである。
以後土田家は「土田孫左衛門」という名前も世襲。
よって公人朝夕人=土田孫左衛門となる。
身分は武士ではなく武家奉公人だったといわれている。
やってる事が将軍のいわゆる「下の世話」なのでバラエティ番組なのでは、何かのギャクのようにとらわれるが、鎌倉時代から家が続き代々世襲している事と、将軍や権力者は誰でも近づけるわけではないので、現代の感覚では驚きと見下した感情が涌き出るようだが、当時としてはいわゆる名家だろう。
慶長8年いらい土田家の世襲となった。
土田家の由緒書によれば、世襲の由来は承久元年、将軍藤原頼経東下向のとき、京都から扈従してまかり下るのにはじまるという。
身分について
公人朝夕人(土田孫左衛門)に、ついては資料が少なく、身分は武士ではなく武家奉公人だったといわれているが、下級武士身分だった説や町人扱いだった説もある。
少なくとも小刀一本持つ事が許され、苗字は公式に名乗る事が出来たそうである。
ただ毎日のように仕事がある立場ではないので、普段は何をして生活していたのかは不明のままである。