内大臣 (Naidaijin (inner minister))

内大臣(ないだいじん)とは日本の官名の一つ。
時代により職掌が異なる。

律令制度の令外官の日本の大臣の一つ。
左大臣、右大臣に次ぐ。

明治時代における大日本帝国政府における役職の一つ。
1885年制定。
1945年廃止。

律令制度
内大臣(ないだいじん、うちのおおまえつぎみ、うちのおとど)とは、律令制度下における令外官の日本の大臣の一つ。
唐名は「内府(だいふ)」「内丞相」「内相国」「内僕射」。
正・従二位に相当。

左大臣および右大臣の両人が何らかの事情のため出仕できない場合、代理に政務をつかさどる。
令外官となっているが、もともと律令が成立する以前にも除目(じもく)された記録がある。
645年より孝徳天皇・斉明天皇・天智天皇の3代において内臣に任じられた中臣鎌足(藤原鎌足)が死の直前に内大臣に任じられたのが嚆矢とされている。

以後、特殊の事情によって内大臣が設置される例が複数回あったが、常置の官としての内大臣は、平安時代中期の藤原道隆以後と考えられている。
以後、内大臣には主として摂関家の若手公卿に摂政・関白就任資格を付与するための任命、宿老もしくは功績多大な公卿に対する礼遇のための任命、単に筆頭大納言に相当する公卿への待遇が「3番目の大臣(太政大臣を除く)」に改められた任命、武家政権の長あるいはそれに次ぐ地位の者に対して与えられる任命の4つに分けられるようになる。

明治維新に際して廃止。
安土桃山時代・豊臣政権下の最大大名 徳川家康も叙任された。
以後も徳川家光等の歴代征夷大将軍が任命されている。

主な内大臣

藤原房前・藤原仲麻呂・道鏡は内大臣には就任していないが、同様の職掌を掌った官職に就いた者として記載する。

明治
内大臣(ないだいじん)は、明治の大日本帝国においては宮中の役職で、内閣には加わらず、国務大臣には含まれず、内大臣府にあって天皇の側近として常時天皇を輔弼し、国璽・御璽の管理や詔書の事務を扱った。
当初は、太政官制廃止直後の前太政大臣三条実美の処遇のための役職の意味合いもあった。
昭和に入ると元老に代わって、首相の奏薦に大きな役割を果たし、宮中だけでなく府中(政府内)にも力を持った。
内大臣が欠けた緊急の場合、枢密院議長が臨時に内大臣に就任し天皇に侍立する。
これは、二・二六事件の直後の、枢密院議長一木喜徳郎が内大臣に就任し即日辞職した例がある。

内大臣の職務・権限・助言できる範囲は、憲法学者ですら明確に定義することが出来ない程、非常に曖昧かつ抽象的なもので、全ては就任した人物と天皇の信頼関係のみで成立するという、非常に特殊なポストだった。
また、特殊なケースとして皇族の貞愛親王が内大臣を務めた例(1912年-1915年)がある。

無条件降伏後の1945年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)によって廃止された。

歴代の内大臣については、内大臣府を参照。

[English Translation]