准摂政 (Jun-Sessho (associate regent))

准摂政(じゅんせっしょう)は日本の律令制下において、関白または大臣が摂政に準じて国政を統べることを天皇から許されること、またはその権限を与えられた者を指す。
令外官。
平安時代中期から江戸時代後期まで全部で14例ある。

准摂政が置かれる場合として、2つの型がある。

第1の型は、幼少時に即位した天皇が元服するときである。
天皇が幼少であれば摂政が置かれる。
しかし、天皇が元服すると摂政は政事を天皇に帰する復辟の上表を行う。
これに対して天皇は摂政を解任して関白を補任し、同時に准摂政の宣旨を下して摂政と同じ権限を与えた。
平安時代後期、後一条天皇の元服後に摂政藤原頼通が摂政を辞任して関白に補任され、同時に准摂政の宣旨を受けた。
それが初例。
その後、藤原師実(堀河天皇)・藤原忠通(崇徳天皇・近衛天皇)・藤原基房(高倉天皇)が関白に任ぜられたときに准摂政の宣旨を受けた(忠通は2度准摂政になっている)。
この場合における准摂政の任期は明確な規定はないものの天皇が15歳になる頃までとされた。

第2の型は、天皇が病気になったときである。
天皇の不予(病気)の間、大臣または関白が摂政に準じて政務を見たものである。
平安時代中期に冷泉天皇の不予の間、左大臣藤原実頼が准摂政となったのが初例。
次いで三条天皇の眼疾により左大臣藤原道長が准摂政になっている。
特殊な例としては江戸時代の仁孝天皇が崩御した際、喪を秘して不予と称し、関白鷹司政通が道長の例に倣って准摂政となった。
この場合における准摂政の任期は特に規定はなく、准摂政を置く理由の解除されるまでとされた。

准摂政を任命するにあたっては、外記方と官(太政官)方から各1通ずつ宣旨が作成された。

[English Translation]