参議 (Sangi)
参議(さんぎ)は、日本の令外官の朝廷組織の最高機関である太政官の職の一つである。
中納言に次ぐ官で、四等官の中の次官(すけ)に相当する。
唐名(漢風名称)は宰相、相公。
宮中の政(朝政)に参議する(「参政朝議」)という意味で、朝政の議政官に位置する。
律令制
参議以上および三位以上の者を公卿と称し、参議は公卿に列しているが、弁官や蔵人頭を歴任した参議は実務者として重宝がられた。
参議に官位相当を定めた詔勅や宣旨などが見当たらないため、相当位は無い。
(従五位上行式部少輔兼文章博士菅原道真は、参議に官位相当の規定が無いことは問題であるとし、元慶6年(882年)7月1日条「菅家文草・巻第九」で官位相当、考禄等を定めるべきと奏上している。それに対しての回答の有無は伝わらず、定かではない。)
そのため、位階に応じて行・守を添えることは無い。
(例えば、参議正二位。参議従四位下と綴る。)
なお、位階によって氏姓名の綴りは、四位であれば氏名の後に姓(例えば、平清盛朝臣)、三位以上であれば氏-姓-名(例えば、平朝臣清盛)とされた。
大宝2年(702年)5月21日に大伴安麻呂、粟田真人、高向麻呂、下毛野古麻呂、小野毛野を政治に参議させたのが創始で、天平3年(731年)正官として参議が成立。
大同2年(807年)参議は一時廃止され観察使が置かれたが、弘仁元年(810年)復活し、爾来、現任で8人が補任されている傾向があるため、別名を八座とも称するようになった。
しかし参議の定員を定める詔勅や宣旨が発せられた形跡がないため、時代によって人員数は増減した。
また、神亀6年(729年)2月から天平3年(731年)8月までと延暦25年(806年)3月から同年4月まで一時的に権官として権参議が置かれたほか、大同元年(806年)閏6月には、准参議。
道鏡政権下では参議と同格の法参議が置かれ僧侶が任命された。
明治政府
「王政復古」により成立した明治政府の役職。
明治2年(1869年)7月の太政官制の復活により、明治政府の重職としておかれ、薩長土肥からそれぞれ任命された。
廃藩置県後には正院を構成し、明治六年の政変以後は各省長官を兼任する。
明治18年(1885年)の内閣制度が発足すると廃止される。